赤松城址という城址碑がある広大な中道子山城本丸 築城は、室町幕府の重鎮だった赤松円心則村の四男でありながら兄達との不仲から宮方に付いた氏範とされるが、一説には則村の三男則祐の曾孫繁広ともいう。氏範説と繁広説では時代的にかなり差があるのだが、…
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