Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

お城-位置不明

内山城 (越中)

越中守護であった井上俊清が松倉城を追われた後、籠もった城。 井上氏の来歴は不明だが、鎌倉時代末期には、俊清は越中の有力武将になっていたようで、新川郡の又守護代を務めていたともいい、越中守護で名越流北条氏の北条時有討伐に功を挙げ、建武政権期に…

寺林城

築城年代や詳しい事績は不明だが、大正時代に出された「斐太後風土記」に拠れば、最初は寺林付近の領主久米城之介の居城であったと里に伝わっていたようだ。後に、その家老玄蕃が城代となったことから、玄蕃ヶ城や玄蕃城と呼ばれたが、久米氏の没落によって…

湯浅城

遠くからでもはっきりと分かる、城の形をした温泉宿泊施設の湯浅城の南側にあり、平安末期の康治2年(1143)に湯浅党の祖となる湯浅宗重が築城し、広保山城から移ったとされる。 湯浅氏は、宗永が平治元年(1160,1)の平治の乱の際、熊野詣に向かう途中であった…

久美浜城 (松倉城)

現地には松倉城とあるが、久美浜城とも呼ばれ、築城は、一色氏時代にこの地を領していた小領主だと思われるが、詳細ははっきりしない。僅かに、一色時代末期に松倉周防守が居城としていたということが、史料にはある。 天正10年(1582)、長い間守護として丹後…

鞍背城

築城は宇野頼季と伝わるが、詳しいことはよく分からず、いつ頃に廃されたのかも不明。名前は、クラノセと読む。 この築城者と見られる頼季は、宇野頼定の子で、南北朝時代に活躍し、太平記にも名がある。播磨の宇野氏と言えば、室町時代には四職と呼ばれた名…

稲草城

稲草城の案内標示 西脇から国道427号線を北へと走っていると、青玉神社の手前で右手に稲草城を示す案内標示がある。しかし、周辺には遺構らしきものが無いばかりか、城址碑や案内板といった、具体的に城跡を示すものも無いため、詳細な城の場所は判らなかっ…