Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

お城-陣屋/居館

谷村城

小学校の一角に建つ谷村城址碑 一般には、甲斐源氏武田氏の重臣小山田氏が居城とした城とされ、居館形式であったことから、谷村館とも呼ばれる。ただし、小山田氏時代の谷村城は別の場所にあるとし、この城は豊臣政権時代の築城とする説もあるようだ。 小山…

躑躅ヶ崎館

戦国時代の武田氏が本拠とした居館。武田氏館ともいう。 武田氏は、清和源氏の本流河内源氏の流れである。永承6年(1051)から始まる前九年の役で活躍した源頼義の三男に新羅三郎義光がおり、その子義清が常陸国那珂郡武田郷を領して武田冠者と呼ばれたことに…

高山陣屋

元禄5年(1692)に高山藩主金森頼時が出羽国上山へ転封となった後、天領となった飛騨国の治所となった陣屋。全国に60ヶ所以上あった江戸時代の郡代役所や代官所の中で、ほぼ完全な形として残っている唯一の陣屋である。 陣屋の敷地には、金森氏時代には下屋敷…

江馬氏下館

復元された江馬氏下館 江馬氏の平時の居館で、国指定の史跡。 江馬氏は、平清盛の異母弟である経盛の流れとする桓武平氏の血統で、飛州志では、経盛の妾腹の子であった輝経が北条時政に養育され、伊豆国田方郡江馬荘から江馬小次郎を称したという。 一方、ほ…

今川館

駿河で戦国大名となった今川氏の発祥地でもある初期の居館。 今川氏は、西条吉良氏の初代となった長氏の次男国氏を祖とする。吉良荘の内、西条を領した長氏は、今川に隠居したとも、上町の竹崎に隠居したともいわれ、次男国氏に装束料として父義氏から譲り受…

北畠氏館 (多気城・多気御所)

三国司家のひとつである北畠氏が、累代に渡って居した館で、多気城や多気御所とも呼ばれる。ちなみに、多気はタキではなくタゲと読む。 北畠氏の出自は、源氏である。と言っても、武家の棟梁となった清和源氏ではない。村上天皇の皇子の系統が臣籍降下して源…

細川館

細川館西端の郭は公園となっている 細川荘を領していた下冷泉家の居館。また、戦国時代から江戸時代に活躍した、儒者藤原惺窩の生誕地でもある。 冷泉家は、藤原道長の六男長家の流れで、その子孫である俊成が千載和歌集を撰した功によって細川荘を得た。ま…

峰山陣屋

開墾されている陣屋跡 峰山藩京極氏の首府であった陣屋。 峰山の地は、嘉慶2年(1388)に、丹後の守護であった一色詮範が、防衛のために後背の吉原山に築いた吉原山城があり、一色氏が田辺の守護所に戻った後も、奥丹後の拠点として一色一族の吉原氏が城主を務…

狭山陣屋

狭山陣屋跡の碑 狭山藩の政庁だった陣屋。 狭山陣屋の周辺には、かつて南北朝時代に池尻城があったようだが、この城は戦国時代には放棄されていたという。また、狭山池の南側には半田城があったらしいのだが、これも詳細は不明で、目ぼしい事跡が見られない…

新見陣屋

陣屋跡に建つ思誠小学校の校門 江戸時代の新見は、初期は備中松山藩の支配下にあり、高梁川を利用した水運で栄えていた。新見が藩の首府となるのは、元禄10年(1697)になってからで、津山藩の支藩であった宮川藩関氏が新見に移って来てからある。 津山藩は、…

成羽陣屋

成羽陣屋大手門跡 陣屋が築かれる前の成羽は、戦国時代に成羽へと進出してきた三村氏の根拠地であった。その戦国時代の当主家親は、毛利元就と結び、備中だけではなく、備前、美作へと勢力を急拡大させた武将であったが、敵対する浦上宗景の家臣宇喜多直家の…

養宜館

淡路の守護所であったとされる居館で、ヤギと読む。 鎌倉時代の淡路国守護は、小山氏や結城氏の同族である長沼氏であったが、その長沼氏もここに居館を置いていたといわれる。ただ、この長沼氏時代の居館に関しては通説というだけで、明確な史料があるわけで…

村岡陣屋

応仁の乱における一方の総大将として有名な山名氏が、江戸時代に築いた陣屋。 山名氏は、但馬を本拠地とし、室町時代の一時期には六分の一殿と称されたように、全国66ヶ国のうち11ヶ国の守護を一族で占めていた。しかし、戦国時代には、勢力を扶養していた各…

林田陣屋

林田藩陣屋跡の碑 元和3年(1617)、建部政長が林田藩初代藩主となって移封されたことにより、前身の窪山城という平山城を改修して築かれた陣屋。窪山城は、室町時代に林田一帯を掌握していた赤松家臣谷沢国氏が築城したという。 窪山城が存在した頃の赤松氏は…

乃井野陣屋

三日月藩乃井野陣屋全景 三日月藩森氏の陣屋で、三日月藩乃井野陣屋や単に三日月陣屋とも呼ばれる。現地の表記が乃井野陣屋であったので、名前はそれに従った。 三日月藩初代藩主である森長俊は、津山藩2代藩主長継の五男である。元々は、津山藩から分知を受…

柏原陣屋

織田家とゆかりの深い、江戸時代の柏原藩の政庁跡。 柏原の地には、信長の異母弟である信包が慶長3年(1598)に入封し、これによって江戸時代の柏原藩の前身が成立した。 この信包は、清廉潔白な人柄で信長からの信頼も厚く、一族の重鎮的な存在であったという…