Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

史跡-古戦場跡/陣所跡

妻女山陣所跡

5回に渡って激突した川中島の合戦の中でも、最も激戦であった永禄4年(1561)の第4次川中島の合戦の際に、上杉政虎(謙信)が陣取ったといわれる場所。 川中島の合戦は、甲斐から信濃に侵攻して北信までを併呑しようとする武田信玄と、北信の豪族による救援依頼…

川中島古戦場

5回に渡って武田信玄と上杉謙信が激突した、あの有名な川中島の合戦の内、最も激戦だった4回目の戦いが行われた古戦場。 川中島の合戦の発端は、信玄が信濃攻略を進めたのに伴い、信濃守護であった小笠原長時や、信玄を2度までも敗北させた村上義清が領土を…

徳川家康最初陣地跡 (桃配山)

桃配山に建つ徳川家康最初陣地跡の碑 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、家康が最初に陣を構えた場所。現地の碑には、徳川家康最初陣地と彫られており、それをスポット名としたが、歴史をある程度知っている人間には、桃配山の方が通りが良いのかもない…

徳川家康最後陣地跡

旗が靡く陣場野公園 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、家康が最終的に敷いた陣の跡。地名としては、床几場や陣場野という名が伝わっており、いずれも陣があった事からの名で、現在は整備されて陣場野公園となっている。 家康は当初、ここから東へ2kmほ…

関ヶ原古戦場

慶長5年(1600)9月15日に、徳川家康率いる東軍と、毛利輝元を総大将に担いだ石田三成率いる西軍が激突し、東軍が勝利して江戸幕府創設の端緒となった関ヶ原の合戦の古戦場。 豊臣政権内では、古くから福島正則に代表される武断派と、石田三成に代表される文治…

石田三成陣地跡 (笹尾山)

柵が復元されている石田三成陣地跡 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、事実上、西軍の現地総司令官だった石田三成が陣を敷いた場所。歴史を少し知っている人間なら、笹尾山の方が通りが良いかもしれない。現地の碑に従い、名前を石田三成陣地跡としたが…

虎御前山陣所跡

虎御前山陣城布陣図 元亀元年(1570)の姉川の合戦で勝利した信長は、小谷城の南東約9kmにあって浅井領を南北に分断することが可能である横山城を奪取し、秀吉を城番にしていたが、立ち枯れるように佐和山城主磯野員昌の降伏に追い込むなどして南部を平らげ、…

賤ヶ岳古戦場

天正10年(1582)6月2日の本能寺の変の後、信長の実質的な後継者をの地位を巡り、柴田勝家と羽柴秀吉の間で紆余曲折があったが、最終的にその帰趨を決する戦いとなった翌同11年(1583)4月の賤ヶ岳の合戦が行われた古戦場。 本能寺の変で信長とその嫡男信忠が横…

姉川古戦場

織田氏と浅井氏が、それぞれ徳川氏、朝倉氏と連合軍を形成し、元亀元年(1570)6月28日に戦った合戦の古戦場。ちなみに姉川の合戦というのは徳川家における呼称で、浅井家では野村合戦、朝倉家では三田村合戦と呼んでいた。 同年4月の織田軍による朝倉攻めの際…

平井山本陣跡

平井山本陣跡の主郭部 天正6年(1578)から同8年(1580)にかけて行われた三木合戦の際、秀吉は包囲網形成のために周辺に無数の付城を築かせ、自らは三木城の見える平井山に本陣を張ったが、平井山には今でもその陣所の跡が残っている。名前を平井山本陣跡とした…