Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

史跡-墓

今川了俊墓

今川了俊は、諱を貞世といい、南北朝時代に主に九州での活躍で名を馳せた武将である。 了俊は、宗家である足利氏に従って南北朝時代に駿河や遠江を務めた今川範国の次男として生まれ、今川家の家督自体は兄の範氏が継いでいたが、貞世も幕府の要職を務めるな…

織田信長墓

安土城の二ノ丸跡にある織田信長の廟所。本能寺の変の翌年の天正11年(1583)2月、秀吉によってゆかりの品々が納められて建立された廟所で、信長公本廟ともいう。 尾張国守護代織田家には、室町時代以降に並立した清洲織田家と岩倉織田家の二家があり、信長は…

山中鹿介幸盛墓

河畔に建立された山中鹿助幸盛の墓 山陰の麒麟児という異名をとった尼子家の忠臣、山中鹿介幸盛の墓。毛利氏に捕らわれていた幸盛は、高梁川と成羽川の合流点にほど近いこの場所で謀殺された。ちなみに、講談などでは、鹿之助の字があてられている。 尼子氏…

竹中半兵衛重治墓

今も献花が絶えない竹中半兵衛重治の墓 秀吉が三顧の礼で軍師として迎え、黒田官兵衛孝高とともに秀吉幕下の二兵衛と称され、三木合戦の陣中で病没した竹中半兵衛重治の墓。秀吉が三木合戦で本陣を張った平井山の麓にある。現地の案内板には、諱の重治ではな…

黒田職隆墓

妻鹿城の城下町にある黒田職隆の廟所 秀吉の軍師として活躍した、黒田官兵衛孝高の父職隆の墓。 黒田家は、播磨国黒田庄の土豪という異説もあるが、近江源氏佐々木氏の庶流とするのが一般的で、職隆の祖父高政が戦国時代初頭に流浪して備前福岡へ行き、同じ…

黒田重隆墓

室の明石氏と並んで祀られている黒田重隆の廟所 黒田官兵衛孝高の祖父重隆の墓。 黒田家は、播磨国黒田庄の土豪という異説もあるが、近江源氏佐々木氏の庶流とするのが一般的である。つまり、佐々木京極氏の分かれである近江国伊香郡の黒田氏の流れで、重隆…