Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

城崎温泉

大谿川沿いに並ぶ城崎温泉の街並み

 湯村温泉と共に山陰東部、兵庫県北部を代表する温泉。

 開湯の伝承としては、舒明天皇の治世(629-641)にコウノトリが傷を癒していたのを見て発見されたとも、道智上人が病に苦しむ人々の為に千日修行を行った後の養老4年(720)に湧出したとも伝わるという。コウノトリの伝承は外湯のひとつである鴻の湯に、道智上人の伝承は同じくまんだら湯に伝わる伝承である。ちなみに、この道智上人は、後に観音菩薩のご本尊を得て、城崎温泉の守護寺となる温泉寺を開いた僧侶でもあり、開湯の伝承はともかくとして、城崎の街は道智上人の時代に原型ができたのだろう。

 城崎温泉と言えば外湯巡りで、上の2つの外湯のほか、天下第一と称された一の湯を始め、御所の湯、地蔵湯、柳湯、さとの湯の計7つあり、温泉宿泊者であれば無料ですべての外湯を廻る事ができる為、それが名物となっている。ただ、外湯によって源泉が違うわけではなく、4つある源泉はひとつにまとめられて管理され、外湯や宿泊施設に供給されているという。泉質は、ナトリウム・カルシウム-塩化物・高温泉で、各施設に供給されている温度は42℃だが、源泉温度は37~82℃と、ばらつきがあるようだ。

 温泉街としては、江戸時代からすでに高名で、温泉番付として残るものには、有馬温泉に次いで西の関脇に挙げられている。その評判を慕い、庶民はもちろん近隣の藩主や藩士がよく訪れ、幕末には出石に潜伏した桂小五郎も立ち寄ったという。明治に入ると文豪達が温泉を愛し、「城の崎にて」を書いた志賀直哉が真っ先に挙げられるだろうか。

 城崎温泉の温泉街は、JR城崎温泉駅の西側、大谿川沿いの柳並木の範囲で、徒歩で回ることができる程度にまとまっているが、昭和の温泉ブーム以降、宿泊施設が温泉街の外にも設けられ、丸山川沿いにまで広がった。近年は、その外側の宿泊施設に再編や再開発があるが、外国人にも人気がある温泉であることに変わりはない。

 温泉と言えば、浴衣に下駄ではあるが、外湯として温泉街を巡る宿泊者が多く、これほど浴衣と下駄が自然な服装として根付いている温泉街はないのではないだろうか。訪れると改めて感じるが、川沿いの柳並木と古い町並みには、やはり浴衣が映える。

外湯のひとつである地蔵湯

 

最終訪問日:2021/8/15

 

 

仕事でもプライベートでも訪れたことがある温泉で、兵庫県では有馬、湯村、城崎がBIG3ですね。

同じ温泉街でも、有馬は華やか、湯村は古風、そしてこの城崎は雅趣というイメージがあります。

個人的には、次に行った時には、駅前にあったレンタル屋で電動バイクをレンタルして、温泉街の中や外をブラブラしてみたいですね。