Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

北野異人館

 神戸の市街地の北側、外国人の建てた建物が集中的に残っている地区を一般に北野異人館という。正確には、いくつもの洋館がある異人館街であり、公式サイトなどはその表記となっている。

 幕末までの神戸は、どこにでもあるような漁師村の寒村だったが、幕末の開国の際、それまでの主要港湾であった兵庫を開港したのでは混乱が起こる懸念があり、ほど近い神戸が開港地として選ばれた。この際、今のフラーロードである旧生田川の西岸一帯に外国人居留地が設定されたのだが、神戸が良港だったこともあり、明治以降は国外との貿易が増えるに従って平安時代からの湊であった兵庫港を凌いで発展することとなる。

 開港当初、現在の旧居留地である居留区域に外国人は住むことになっていたのだが、やがて労働者階級の住居地不足から、日本人との雑居可能地として山の手側への居住を許可され、さらに旧居留地でも安定した生活を送る裕福な外国人が、眺望の良さから住宅や別荘を山の手へ建てるようになった。これが異人館街の原型となっている。

 異人館は、昭和初期の最盛期には200棟以上あったようだが、第二次大戦の戦災や高度成長時代にビルへ立て替えられるなどして、次第に失われていった。だが、テレビドラマをきっかけに注目を集め、やがて伝統的建造物群保存地に指定されるなど、以降は保護が図られている。

 1995年の阪神淡路大震災では、異人館の大半が甚大な被害を受け、観光客のみならず、神戸のシンボルと感じていた神戸市民にもショックを与えた。当時の指定建物は29棟で、同時代の洋館や和風建物を含め51棟あったそうだが、和洋混交の特殊な構造である異人館の修復費用は高額となり、特に個人の所有物であった異人館などは復旧の資金が出せず、残念ながら取り壊された建物も多い。それでも、神戸市内外の方の協力で街の復興と共に異人館も順次修復されて行き、今では当時の痛々しい姿が想像できないほど、綺麗に復興されている。

 これら30棟余りの現存する異人館中で、公開されているのは16棟あるが、中には入館料が無料の異人館もあり、入館料の要る風見鶏の館やうろこの家といった有名どころも共通券が数種類あるので、訪れたい異人館を事前に調べておいた方が良いだろう。中には重要文化財に指定されている建物もあり、西洋風のデザインと和の建築技術が融合した独特の雰囲気は、外観も内装も含め一見の価値があり、周囲一帯は神戸らしく異国情緒が漂った独特の空間となっている。

 

最終訪問日:2012/7/21

 

 

北野の周辺には、結婚式などで行く機会が割に多いのですが、異人館となると、意外と足を運んでないんですよね。

まさに灯台下暗し。

平日の人の少ない時間に、ブラブラと散歩したいとは思ってるんですけど、なかなかタイミングが無いですね。