Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

吉備津彦神社

吉備津彦神社拝殿

 神社本庁が定めた、いわゆる別表神社のひとつで、主祭神は大吉備津日子命。ただし、この神社では、主祭神の大吉備津日子命が一般に言うところの吉備津彦命で、配祭として吉備津彦命の名で祀られているのは、大吉備津彦命の子とも弟ともいう若建吉備津日子命の事を指す。このほか、大吉備津日子命の一族血族など、10柱が配祭されている。

 大吉備津日子命は、古代崇神天皇の治世に各地へ送られた4人の将軍のひとりで、畿内から吉備へ派遣され、吉備で暴れていた温羅を誅し、後には吉備国の統治にあたって平和と秩序をもたらしたという。また、この時の話がおとぎ話となり、大吉備津彦命が桃太郎のモデルになったという話は有名である。ただし、岡山の話が一番有名ではあるが、桃太郎伝説は岐阜にも香川にもあり、唯一のものではない。

 かつて、吉備国があった頃は、この吉備津彦神社が鎮座する吉備の中山は吉備国の中心にあり、神の住まう神奈備山として崇拝されていたという。また、その頃の一ノ宮は、ほど近い吉備津神社であった。その後、吉備国が分割されることになり、備前、備中、備後に分かれた際、象徴的中心であった吉備の中山を備前と備中で分け合い、備中に入ることになった吉備津神社の分霊をこの地に祀り、備前一ノ宮として神社を創始したのが吉備津彦神社という。

吉備津彦神社本殿

 ただ、社伝では、それは推古天皇の頃としているが、歴史的には、分割は半世紀ほど遅い7世紀後半で、年代的な差があるようだ。また、由緒では、大吉備津彦命の屋敷跡に社殿が建てられたのが神社の最初とする。このことから、伝説的始祖として崇拝される人物の屋敷跡ということで、信仰の拠点としての原型が社殿創建以前からあり、適地として後で社殿が建立された形なのではないだろうか。また、古くから自然崇拝の対象として吉備の中山が崇められ、山全体を神域としていたことから、神奈備信仰と吉備津彦命の崇拝が習合した可能性も高そうだ。

 前述のように、祭神を同じくし、備中一ノ宮に対して備前一ノ宮という同格の社格を持ちながらも、すぐ近くにある吉備津神社とは対照的に落ち着いた雰囲気が漂っており、こちらもなかなか趣があって良い。ただ、前回の訪問以降に工事で整備されたようで、拝殿付近は以前と比べて質素な感じが無くなっていた。ちなみに、吉備津神社と同様に、この神社からも大吉備津彦命が葬られているといわれる中山茶臼山古墳へ登ることができる。

本殿解説板

 

最終訪問日:2008/6/20

 

 

吉備津神社と同じ立ち位置のはずですが、こちらは何となく静かな地元の神社という印象ですね。

ただ、境内全面の池などは非常に大きく、ただの神社ではないなという感じはプンプンしてます。

その辺りは、さすが一ノ宮ですね。