Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

渡月橋

渡月橋全景

 桂川に架かる橋。京都嵐山には欠かせない橋で、嵐山の風景写真や映像には、橋のやや上流にある一ノ井堰や嵐山の山容と共に、必ずと言っていいほど登場する。

 渡月橋が最初に架けられたのは、平安時代の承和年間(834-48)とされ、特に同3年(836)頃がというのが定説で、空海の弟子であった僧道昌によるという。

 道昌は、天長6年(829)に葛野寺に入ってこれを中興し、寺の周辺の整備も行ったことから、民衆に尽くした行基の再来と呼ばれた。その葛野寺周辺の整備事業のひとつとして、古代に秦氏が造成した大堰川の葛野大堰の修築があり、この工事に伴って葛野寺への通行のために架けられたのが、渡月橋である。

 葛野寺は、貞観16年(874)に伽藍が整備され、現在の名前である法輪寺となるのだが、渡月橋と呼ばれる以前の橋は、葛野橋や法輪寺橋と呼ばれていたという。また、現在のような長い橋ではなく、現在地よりも200mほど上流の川幅が狭くなった所に架けられていた。

木で造られている渡月橋の欄干

 渡月の名称が登場するのは、400年ほど時代の下った鎌倉時代で、時の亀山上皇が、父の後嵯峨天皇が造営した亀山の離宮に住み、雲の無い夜空に月が浮かぶ様子を見て、「くまなき月の渡るに似たり」と感嘆したことに由来する。以来、洪水や戦災での亡失の度に幾度も架け直され、慶長11年(1606)になって今の場所へと架け替えられた。この架け替えに尽力したのは、商人の角倉了以で、保津川の水路を開削した人物でもあり、京の都と北西の嵐山や丹波を結ぶ交通史に残した業績が、非常に大きな人物である。

 現在の橋は、昭和9年(1934)に架け替えられたもので、車の通行に求められる強度を考慮し、鉄筋コンクリートで造られた。ただ、風情に配慮して外観の旧態を残し、欄干等は木でできている。全長は、京都府のホームページによれば154mで、観光バスを始めとする車も多く通る道であるが、それ以上に人が多く渡る橋という印象だ。それほど、休日の嵐山には人が多い。ちなみに、中之島から北側が渡月橋、南側は小渡月橋で、渡月橋北側から中之島までが右京区、小渡月橋辺りから南が西京区となっている。

 

最終訪問日:2011/10/16

 

 

言わずと知れた、観光名所の渡月橋です。

なので、人が多いのなんのって。

でも風情があって、京都らしさを感じますよね。

名所が多い京都の中でも、渡月橋桂川の風景が、一番好きなのかもしれません。