Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

宝山寺

 宝山寺は、真言律宗大本山で、大聖歓喜天を守護神として祀っていることから、聖天さんや生駒聖天とも呼ばれ、日本三大聖天のひとつにも数えられる。

 大阪府奈良県の間に聳える標高642mの生駒山は、伝承では、修験道の開祖という役小角が、斉明天皇元年(655)に修験場として開いたという。ただ、生駒山は、古代から自然崇拝の原始神道の対象であったと思われ、神道と仏教が神仏習合した修験道の道場として開かれたのも、そのような自然崇拝の対象だったことが大きな理由のひとつと思われる。ちなみに、その当時は、都史陀山大聖無動寺と呼ばれていた。

 宝山寺は、その大聖無動寺とは直接の関係は無いようで、湛海が千日不出の木食行を続ける中で、不動明王から生駒山の暗示を受け、弟子と共に延宝6年(1678)10月10日に生駒山へ入山し、本尊を不動明王として翌年正月に仮堂を落成したことが創始という。

宝山寺本殿と拝殿

 この仮堂落成が、現在の宝山寺の事実上の開山ではあるのだが、この時は大聖無動寺と号したことから、名前上は再興ということになるだろうか。その後、湛海は守護として聖天を祀り、伽藍の整備に努め、約10年の歳月を掛けて完成し、名前も生駒山宝山寺と改められた。

 湛海は、大願成就の為には聖天の助力が必要と考え、弟子妙道に聖天法を授けたが、妙道が2代住職となって以降は、聖天法を修めることに重きが置かれた為、不動明王が本尊でありながら、次第に聖天信仰の性格が強くなったようだ。

 江戸時代の宝山寺は、皇室や将軍家、大和郡山藩主柳沢家から祈祷の依頼を受ける寺院であったが、やがて、この聖天の助力を求めることが現世利益と結びつき、京や大坂の商家からは、商売繁盛のご利益がある寺として厚く敬われたという。

厳かな宝山寺参道

 寺へは、生駒ケーブル宝山寺駅か、信貴生駒スカイラインから階段の参道を登って行く事になる。境内に入ると、まず本堂や拝殿が見え、その後ろに聖天堂があった。ここからは、山岳寺院らしく、高低を持ちながら多宝塔や大師堂など多彩な建物が建ち並んでおり、子安地蔵の前を通って最も高所にある開山堂、奥の院本堂へと至る。

 訪れた時は、寒い時期ながら参拝者も多く、時折見える麓の絶景も相まって、山岳寺院の古刹らしい趣があった。参道沿いの狭い範囲に建物が多くあり、その中を歩いていると、時の権力者や畿内の商家から崇拝を受けていた昔は相当繁栄したであろう様子が、ありありと感じられる寺である。

 

最終訪問日:2019/1/27

 

 

参道はなだらかなんですが、奥に行くと、幾重もの建物が高低で組み合わされていて、山岳寺院に来た!という感じになります。

生駒ケーブルで訪れたんですが、梅屋敷駅周辺は、急峻な地形の中に岩谷の滝や清涼の滝といった修験道の雰囲気がある場所が点在していて、こちらも独特の雰囲気。

ルートとしては、梅屋敷駅から高低の少ない遊歩道があるので、奥の院や開山堂といった上にあるお堂に参り、聖天堂や拝殿へと下りて行くのが楽でしょうね。