Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

門脇吊橋

門脇吊橋と門脇埼灯台

 4000年前の大室山付近の噴火によって流れ出た溶岩が海岸を埋め立て、それが海水に侵食されてできた城ヶ崎海岸には、いくつもの小さな入江と岬があるが、その中の灯台が建てられている門脇崎と、半四郎落しと呼ばれる岩場の間に、この門脇吊橋が掛けられている。

 半四郎落しには、その由来として悲劇が伝わっているという。

 付近の富戸村に住む半四郎が、岩場へトジという海藻刈りに出掛け、背中の籠いっぱいのトジの重さによって立ち上がる際にバランスを崩し、海に落ちてしまった。知らせを聞いた妻のおよしは、ここへ来ては涙を流す日が続き、いつの日かおよしの涙に似たイソギクの花が咲く岩場を、半四郎落しと呼ぶようになったという。

 ちなみに、この半四郎には、雨の城ヶ崎の歌碑も建っている。

門脇吊橋前景

 この門脇吊橋は、岩場と岩場の間の海の上に架かる珍しい吊橋で、橋自体は長さ48m、高さは23mと、人道の吊橋にしてはかなり大きい。初代の吊橋は、昭和43年(1968)3月に架けられたのだが、老朽化により平成9年(1997)に現在の2代目に全面架け替えが行われたという。

 橋の下には、城ヶ崎海岸の切り立った岩場や荒々しく打ち寄せる波が見え、崖と海の迫力を直に感じることができる上、水平線と伊豆諸島を眺めるにも絶好のポイントだ。

 訪れた日は日曜だったが、朝早い時間だったため、観光客は自分以外に1組ぐらいしか見当たらず、快適に散策できて景色も楽しめた。城ヶ崎海岸でも特に人気のある場所で、夏などの観光時期の昼間は観光客でごった返しているらしい。

 

最終訪問日:2013/5/19

 

 

門脇吊橋と門脇埼灯台が移る構図の写真は、ほとんどの人が1度は見たことがあるんではないでしょうか。

関西人の自分でも見たことがあるぐらいで、それほど有名な橋ですね。

 

乙女道路

 乙女道路は、かつて静岡県御殿場市と神奈川県箱根町の間の、箱根の外輪山にある乙女峠に通されていた有料道路で、現在は国道138号線の一部となっている。昭和39年(1964)10月28日の開通で、全長は5.6km。

 乙女峠には、古くから街道が通っていたが、箱根が今ほど人を集める観光地でなかったことや、大きな街道である足柄路が近いこともあり、それほど重用されていなかったと思われる。

 この乙女という変わった地名の由来にはいくつかの説があり、仙石原のトメという女性が父の病の平癒を祈って御殿場に願掛けへ毎日行っていたが、その成就と共にこの峠で亡くなったことからおトメ峠と付けられたとも、江戸時代に箱根一帯の関所で足止めをされる人が多かった事から、御留め峠と付けられたともいう。

 乙女道路の建設が開始された昭和37年(1962)は、西武グループ小田急グループが激しく争った箱根山戦争と呼ばれる観光競争の終盤で、両グループや東急グループによる競争的な観光宣伝によって、多くの観光客が詰め掛けていた時期であり、そのような需要からこの道路は建設された。当時の国道138号線は西側の長尾峠経由のルートを採っており、開通によってこの乙女道路が御殿場と箱根の間の最速路となったのである。

 その後、昭和59年(1984)12月20日に料金徴収を前倒しして終了し、無料開放された。以後、現在のように国道138号線の一区間となるのだが、御殿場側の眺望が良く、富士山の絶景スポットとしても有名となっている。

 道自体は、かつての有料道路で、現在でも交通量の多い国道であるため、非常に整備されており、タイトなコーナーは多いものの、道路幅も広くかなり走りやすい。難点があるとすれば、観光における主要な国道ということに由来する交通量が多さぐらいだろうか。時間的に余裕があれば、ふじみ茶屋の駐車場で休憩して景色を楽しむというのも良さそうだ。

 

最終訪問日:2013/10/13

 

 

訪れた時は、静岡県の御殿場側から入り、乙女トンネルを抜けて神奈川県側から長尾峠へ向かったため、富士山や御殿場の景色を見下ろしながら下るということはできず、そこは少し心残りですね。

ただ、休日の午前というのもあって、御殿場方向への車線は、富士山や富士五湖へ向かうと思われる車で延々と渋滞していたので、選択としては正解でした。

 

芦ノ湖スカイライン

 芦ノ湖スカイラインは、芦ノ湖の西から南西にかけて、箱根外輪山を南北に走る有料道路で、国道1号線に接続する箱根峠から湖尻峠までの本線と、湖尻峠から芦ノ湖畔の湖尻水門付近までの湖尻線がある。

 全長は、本線が9.0km、江尻線が1.7kmの計10.7kmで、本線が昭和37年(1962)12月28日、湖尻線が遅れて昭和47年(1972)に開通した。

 起点と終点が神奈川県箱根町、経由地が静岡県湖尻峠となっているように、芦ノ湖スカイラインは静岡神奈川両県の県境の峰沿いを走っているが、その大部分は箱根外輪山外側の静岡県側である。従って、芦ノ湖と名前には付いているが、走りながら芦ノ湖の景色を愉しめる場所というのは少なく、眺望が広がるのは限られた場所しかないというのが惜しいところだろうか。

 道路の開発は、箱根周辺の観光開発を手がける藤田観光株式会社が行い、最初は純粋な観光道路として供用が開始された。後に、静岡県道路公社によって北側に箱根スカイラインが接続されたことにより、伊豆スカイラインと合わせて箱根から伊豆までの山塊を縦断する有料道路群のひとつとなったため、以降は御殿場方面から渋滞しやすい箱根近辺を避けて伊豆方面へ向かう、パイパスの役割も担うようになっている。

 ちなみに、平成19年(2007)に藤田観光株式会社の経営から離れたが、現在でも民間会社の運営というのは変わっていない。

 箱根スカイラインから連続して芦ノ湖スカイラインを走ってみたが、距離が長いせいか、箱根スカイラインよりもタイトなコーナーや小さなコーナーが多いように感じ、アップダウンも激しいのではないだろうか。個人的には、箱根スカイラインの方が面白く感じたが、走る車種によっては、こちらのほうが面白く感じられるかもしれない。

 また、距離が長いため、湖尻峠から三国山を越える辺りまでと、そこから箱根峠までの部分では性格が大きく変わり、前者は小刻みなコーナーを楽しむ区間で、後者はコーナーも緩やかなのんびり走る区間というイメージだ。

 ちなみに、無謀運転が頻発したせいか、夜間は本線が通行止めとなり、県道や箱根スカイラインの接続のためだけに、湖尻線だけが無料開放されている。

 

最終訪問日:2013/10/13

 

 

箱根スカイライン芦ノ湖スカイラインは、ライダーやドライバーにはとても有名なルートで、1度走ってみたいと思っていただけに、とても満足ですね。

首都圏から来るバイクや車が多く、流れは快走路のようにスイスイとまではいかなかったですけども。

 

三保の松原

 富士山の風景で有名な景勝地。国指定の名勝であり、富士山と共にその構成要素として世界文化遺産に登録されている。ちみなに、一般に三保の松原と表記されるが、公式には三保松原と書く。

 三保の松原のある三保半島は、地図で見るとよく解るが、北海道の野付半島と同じく非常に綺麗な形をした砂嘴で、正確に言えば両者共に先が幾つかに分かれた分岐砂嘴である。

 その元となる砂礫は、かつては別々だった安倍川と藁科川が運ぶ土砂と、日本平のある有度山の南麓を波が洗うことによって供給されていた。しかし、近年の砂防工事などで河川から供給される土砂が減ったため、海浜の縮減が常に懸念されているという。

三保の松原と霞む富士山

 三保半島は、太平洋に面していることから、激しい風雨に晒されることで広葉樹は根付かず、痩せた土地で風浪にも耐え得る松のみが残った結果、松林が形成された。

 江戸時代頃の絵図を見ると、半島全体が松林として描かれていることから、当時は松が半島全体を覆っていたことが窺えるが、これは御穂神社境内の禁足地だったという理由もあったようだ。しかし、明治以降は周辺の開発や松根油の採取によって当時の10万本前後という数から漸減し、現在では約3万本程度にまで減ってしまっているという。

 三保の松原には、羽衣の松という木があり、その名の通り羽衣伝説がある。

 伝説の内容は、地上に遊びに来た天女が松に羽衣を掛け、通りかがった漁師が羽衣を持ち帰ろうとすると、天女が返すよう願うという、各地の羽衣伝説と違いはないのだが、三保の羽衣の松は御穂神社の御神体になっているという所が、やや特徴的だろうか。

三保の松原にある三代目天女の松

 羽衣の松は、かつて松原全体を境内としていた御穂神社の祭神である大己貴命三穂津姫命の依代になるとされ、そこから神社までの松並木を神様が神社まで通る道として、神の道と呼んでいる。このように大きな社を持つ神社にまで天女伝説が昇華されたのは、源流として海や砂嘴に対する素朴な土俗信仰があったものと思われ、時代を経て伝説や神社という形になったのだろう。

 ちなみに、初代の天女の松は宝永4年(1707)の富士山の宝永大噴火で沈み、2代目は平成22年に立ち枯れてしまい、現在は3代目の松となっている。

 

最終訪問日:2016/5/22

 

 

訪れたのが春の早朝だったためか、富士山は霞んで僅かにシルエットを覗かせるだけでしたが、それでも長大な海岸線に緑の帯として茂る松、そして海の青と後ろに聳え立つ富士山という風景は、それぞれが絶妙に調和した絶景でした。

また、自分が訪れた時にはほぼ無かったんですが、富士山頂に雪の残る季節に訪れた方が、白のアクセントが入って、より色の調和が楽しめていいんでしょうね。

運不運もあるんですが、天候も快晴だっただけに、富士山の存在感が薄かったのだけがちょっと心残りでした。

 

真崎

廃止された清水真埼灯台越しに見る清水の街と霞む富士山

 三保の松原がある三保半島の北端。

 三保半島は、かつては別流だった安部川と藁科川が海に運んだ土砂と、有度山を中心とする日本平の南麓から波によって削られた土砂が、海流によって東へ流され、堆積した砂嘴である。

 三保半島の砂嘴は、先が3つに分かれていることから、正確には分岐砂嘴といい、その砂礫による痩せた土壌と強い風浪に耐え得る松が半島に茂り、三保の松原という名勝となった。また、その松と半島によって風浪から守られる内湾は港となり、今でも清水港として活用されている。

 真崎は、その三保半島の北端で、三保内浜海水浴場と真崎海水浴場の境となる砂浜であり、他の一般的な岬とはやや趣が違って岬という雰囲気が少ない。穏やかな内湾が控えていることや、眼前に清水の工場地帯や市街地が見えるというのもあるのだろうか。逆に言えば、周囲から隔絶するような突端の岬に比べ、人の生活に近い岬と言えるのかもしれない。

 真崎にかつてあった灯台は、清水真埼灯台と名前が付いていたが、灯台としては防波堤灯台と同じ程度の小規模なもので、かわいい灯台であった。小さいが故に説明板等も無く、何気なく砂浜に置かれただけのような素朴さがあり、穏やかな内湾の灯台らしさがあったのだが、残念ながら平成28年(2016)11月に廃止となったようだ。

 灯台の銘板によると、昭和11年(1936)5月に初点灯し、平成6年(1994)3月に改築されたようで、位置を地図から拾うと、北緯35度1分14秒、東経138度30分58秒であった。

 訪れたのは早朝の時間帯で、周囲には10人ほどの釣り人がいたほか、犬の散歩をしている人もおり、ゆったりとした時間が流れる郊外的な雰囲気の岬である。ただ、海水浴場の一角ということもあり、夏場の休日にはかなりの人で岬も賑わうのだろう。遠くの富士山や、近くの清水の街、そして当時存在していたかわいい灯台と、景観的にも取り合わせが面白い岬だった。

 

最終訪問日:2016/5/22

 

 

何かを掴もうとする手のような形の砂嘴の先端は、やっぱり指先にあたる場所だと思うんですが、そこにもうあのかわいい灯台は無いんですね。

衛星写真で見ても、台座が残っているだけ・・・

何とも言えない雰囲気が良かっただけに、ちょっと寂しいですね。

 

城ヶ崎海岸

 西の大室山付近の噴火によって流れ出た溶岩が、海岸線を埋め立てつつ冷え固まり、それが海水によって侵食されたのが、城ヶ崎海岸である。このような経緯から、断崖の岬と入江が複雑に入り組み、伊豆独特の荒々しい景観となった。

 城ヶ崎海岸ができたのは、約4000年前である。

 伊豆半島は、かつてはフィリピン海プレートに乗った海底火山で、プレートの動きに合わせて北上し、本州とぶつかる少し前に陸地化して火山島となった後、やがて本州と陸続きになって半島化したが、その後も活発な火山活動が続いた。そして、天城山などの大型火山の活動が終息すると、単成火山と呼ばれる1回限りの噴火で終わる火山群が半島東部に形成されるようになる。

城ヶ崎海岸の荒々しい崖と透き通った海

 大室山もそのひとつで、その噴火によって城ヶ崎海岸ができたのだが、城ヶ崎海岸へと流れ出した溶岩は大室山火口からではなく、500m北東の岩室山の溶岩ドームから流れ出たものという。

 城ヶ崎海岸には、門脇埼灯台や門脇吊橋を中心に約9kmの遊歩道が整備されている。城ヶ崎ピクニカルコースは、ボラ漁の根拠地であったぼら納屋から、幕末の砲台場や門脇崎などを通って伊豆海洋公園までの約3kmのコースで、どちらかと言えば観光的なルートと言えるだろうか。

門脇吊橋からの景色

 それに対して城ヶ崎自然研究路は、日蓮所縁の蓮着寺から、橋がかり、橋立吊橋などを通って八幡野までの約6kmのコースで、剥き出しの荒々しい自然や雄大な海と陸の景観などが楽しめるルートとなっている。

 海岸周辺には、リゾートホテルのほか、別荘地や保養所も多く、気候の良い頃には多くの人が訪れるのだろう。実際、大抵の門脇埼灯台や門脇吊橋の写真には、人がたくさん写っている。この門脇崎の灯台や吊橋の付近は観光の中心地となっているのだが、地形の影響もあって平地が少なく、駐車場が限られているため、車で訪れる人は特に渋滞などへの注意が必要となるかもしれない。

 

最終訪問日:2013/5/19

 

 

訪れた時は、朝早い時間というのもあって観光客の姿もほとんど無かったので、城ヶ崎海岸を落ち着いて散策することができました。

天気も良く、早朝の爽やかな空気と鮮やかな水平線、そして荒々しい岩場が印象的な場所でしたね。

 

門脇崎

門脇崎にある門脇埼灯台

 4000年前の大室山付近の噴火による溶岩が海岸を埋め立て、それが海水によって侵食されてできた城ヶ崎海岸は、岬と入江がいくつも混在する複雑な地形となっているが、それらの中にある大きな岬のひとつが門脇崎である。

 城ヶ崎海岸から南東方向へと突き出しているこの門脇崎には、周囲の海から視認し易いために灯台が建てられており、城ヶ崎海岸の中心と言っていいだろう。

 その灯台の名は門脇埼灯台で、他の灯台と同様に地名とは崎の字が違っており、稼動は昭和35年(1960)3月である。灯台の説明板が無かったために詳細な経緯度は不明だが、岬の位置を地図から拾うと、北緯34度53分24秒、東経139度8分19秒であった。

 現在の灯台は、最初に稼動した頃とは姿が変わっており、当初はオーソドックスな円形塔型の形であったという。現在の丸みを帯びた三角形の姿とはかなり違う形なのだが、これは城ヶ崎園地整備事業の一環として平成7年(1995)5月に改築されたためである。

 この改築時には、塔形の変化のほか、地上17mのところに展望室が付けられ、地上4mの場所にも展望台が設けられた。これにより、灯台の機能と共に、城ヶ崎海岸の中核施設としての役割も担うようになったのである。

 このようなちょっと変わった形の灯台は、デザイン灯台と呼ばれるそうだが、門脇埼灯台は、各地のデザイン灯台の中でもかなり特徴的な姿と言えるだろうか。展望台を付けるとなると、一般的な灯台の形では収まらず、まとめるのが難しいという事情もあるのかもしれない。

 

最終訪問日:2013/5/19

 

 

訪れた時は朝の早い時間だったため、灯台内部に入ることはできませんでしたが、人が少なかったので、岬周辺はゆっくりと散策できました。

吊り橋と灯台という姿はよく映えていて、城ヶ崎海岸や門脇崎の象徴ですね。