Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-静岡

マーガレットライン

国道136号線の内、かつて南伊豆道路として使われていた南伊豆町の子浦から松崎町雲見までの区間の愛称である。全長は12.3kmで、沿線がマーガレットの産地で、マーガッレトが多く咲くことからの命名という。 南伊豆道路は、日本道路公団によって昭和43年(1968…

富士山スカイライン

富士山スカイラインの終点である富士山5合目からの眺め 富士宮口五合目にアクセスする道路。 富士山スカイラインの名は、かつての有料道路の名であり、現在の正式名称は表富士周遊道路であるが、愛称として使われ続けている。 有料道路の富士山スカイライン…

箱根スカイライン

芦ノ湖の北西、箱根外輪山を南北に走る全長5.0kmの有料道路で、昭和47年(1972)8月10日の開通。 この箱根スカイラインは、静岡神奈川両県の県境の峰筋に沿って走っているが、全線に渡って静岡県側に造られており、箱根と名が付いているものの、神奈川県箱根町…

門脇吊橋

門脇吊橋と門脇埼灯台 4000年前の大室山付近の噴火によって流れ出た溶岩が海岸を埋め立て、それが海水に侵食されてできた城ヶ崎海岸には、いくつもの小さな入江と岬があるが、その中の灯台が建てられている門脇崎と、半四郎落しと呼ばれる岩場の間に、この門…

乙女道路

乙女道路は、かつて静岡県御殿場市と神奈川県箱根町の間の、箱根の外輪山にある乙女峠に通されていた有料道路で、現在は国道138号線の一部となっている。昭和39年(1964)10月28日の開通で、全長は5.6km。 乙女峠には、古くから街道が通っていたが、箱根が今ほ…

芦ノ湖スカイライン

芦ノ湖スカイラインは、芦ノ湖の西から南西にかけて、箱根外輪山を南北に走る有料道路で、国道1号線に接続する箱根峠から湖尻峠までの本線と、湖尻峠から芦ノ湖畔の湖尻水門付近までの湖尻線がある。 全長は、本線が9.0km、江尻線が1.7kmの計10.7kmで、本線…

三保の松原

富士山の風景で有名な景勝地。国指定の名勝であり、富士山と共にその構成要素として世界文化遺産に登録されている。ちみなに、一般に三保の松原と表記されるが、公式には三保松原と書く。 三保の松原のある三保半島は、地図で見るとよく解るが、北海道の野付…

真崎

廃止された清水真埼灯台越しに見る清水の街と霞む富士山 三保の松原がある三保半島の北端。 三保半島は、かつては別流だった安部川と藁科川が海に運んだ土砂と、有度山を中心とする日本平の南麓から波によって削られた土砂が、海流によって東へ流され、堆積…

城ヶ崎海岸

西の大室山付近の噴火によって流れ出た溶岩が、海岸線を埋め立てつつ冷え固まり、それが海水によって侵食されたのが、城ヶ崎海岸である。このような経緯から、断崖の岬と入江が複雑に入り組み、伊豆独特の荒々しい景観となった。 城ヶ崎海岸ができたのは、約…

門脇崎

門脇崎にある門脇埼灯台 4000年前の大室山付近の噴火による溶岩が海岸を埋め立て、それが海水によって侵食されてできた城ヶ崎海岸は、岬と入江がいくつも混在する複雑な地形となっているが、それらの中にある大きな岬のひとつが門脇崎である。 城ヶ崎海岸か…

御前崎

南の遠州灘と東の駿河湾を分かつ岬。岬の南側は、静岡県の最南端となっている。 御前崎の名は、平安時代にこの場所にあった、白羽官牧という官営の馬牧場が元になったと伝わっており、その官牧に因んで一帯が御厩崎と呼ばれ、さらに御前崎に転じたという。そ…

大崩海岸

名が示すように、約4kmに渡って断崖絶壁がそのまま海に落ち込み、脆い岩質によって崖崩れが頻繁に起こる海岸。 大崩海岸一帯は、高草山や満観峰から続く山塊が直接海に落ち込んでいる場所で、その岩質は、玄武岩や粗面安山岩などの火山岩で構成されているが…

石廊崎

石廊崎から見える水平線と石廊埼灯台 伊豆半島の突端の岬。突端に建つ石廊埼灯台の経緯度は、北緯34度36分10秒、東経138度50分43秒である。 太平洋に突き出した伊豆半島の先端ということで、この石廊崎を境に海の名が変わり、西側は御前崎と結んだ直線より陸…

駿河健康ランド

駿河湾に面する海岸沿いに建つ健康ランド。平成14年(2002)4月21日にオープンした。 健康ランドではあるが、太古の地層から汲み上げた駿河太古の湯という温泉があり、露天風呂には源泉そのまま、黄鉄風呂や炭酸風呂には成分を加えて供給している。 このほか、…

伊東温泉

伊豆半島かの東側から伊豆大島にかけては、非常に活発な火山活動があった場所だが、伊東周辺にはその恩恵として、いくつもの源泉が存在する。このため、一般には伊東温泉と呼ばれてはいるが、伊東温泉郷と呼ぶのがより正確だろう。 伊東温泉の源泉数や湧出量…

横地城

横地氏の居城で、金寿城ともいう。 横地氏は、八幡太郎源義家の庶子家永(家長)が祖といい、永承6年(1151)に安倍氏鎮定の命を帯びて奥州へ赴く父頼義に従った義家が、大雨で見付に滞在した際、在地の相良荘司藤原光頼の娘との間にできた子と伝わる。 その子は…

山中城

北条流築城術が、これでもかというぐらい見られる山城。箱根路の防衛拠点であった。 山中城の築城は、永禄年間(1558-70)とされるが、天文23年(1554)に甲相駿三国同盟の一角として北条氏康の娘が今川義元の嫡子氏真に嫁いでいるため、伊豆と駿河の間は安定し…

堀越御所

鎌倉を目指したものの、伊豆に留まった鎌倉公方足利政知が造営した御所。ホリゴエと読み、御所跡と伝わっていることから、正確には伝堀越御所跡である。 室町時代の関東地方は、尊氏の四男基氏から始まる鎌倉公方の差配地となっており、この伊豆国も鎌倉公方…

深沢城

城跡の入口に建つ深沢城址碑 深沢城としては、今川氏親の築城が最初となるのだが、それ以前に葛山氏の庶流深沢氏の居館があったと推定されている。 葛山氏は、鎌倉期から駿東に御家人として勢力を張っており、城から南へ10kmほどの葛山付近を本拠としていた…

花倉城

花倉の読みとしては、日本郵政の地名データベースから引くとハナグラとなっているため、城名も濁るのが正解かと思われる。ただし、当時は葉梨城や葉梨の城と呼ばれていた。 築城年代は不明だが、今川氏2代基氏の五男で、駿河と遠江の守護に任じられた範国へ…

白山城

天方九ヶ村を領した天方氏の城。 天方を含む飯田荘は、鎌倉時代より首藤山内氏が地頭を務め、その庶流が天方に土着し、地名を姓とした。その時期は、南北朝時代の14世紀後半頃という。 天方氏は、当初は白山城から三倉川を挟んだ北向かいの天方本城を居城と…

沼津城 (三枚橋城)

現地には、沼津城址碑しか建っていないが、沼津城は三枚橋城の跡地を利用したもので、三枚橋城が前身と言える。ただ、2つの城の存在期間はかなり離れており、直接の前身と言うのは難しいかもしれない。ちなみに、三枚橋城を沼津古城と呼ぶ場合もあるようだ。…

韮山城

伊勢盛時こと、北条早雲が本拠とした城。 韮山城の築城は室町時代で、堀越公方足利政知の重臣外山豊前守が文明年間(1469-87)に築いたとされる。城から狩野川沿いの堀越御所までの距離は、1kmちょっという近さで、立地的に考えて、豊前守は政知に信頼されてい…

駿府城

駿府城の前身は、駿河守護を代々務めた今川氏の居館で、詳細な位置は不明ながら駿府城三ノ丸付近にあったと伝わる。 この居館は、今川館とも駿府館とも呼ばれ、今川範政が応永18年(1411)に花倉から念願の駿府入部を果たして築いたものだが、室町時代の守護所…

諏訪原城

武田氏時代に諏訪原城、徳川氏時代に牧野城や牧野原城と呼ばれた城。平野から見ると峻険な坂の上にあるが、頂上部は平坦で郭が広いという平山城で、正確には崖城と言うべきだろう。 築城は天正元年(1573)で、武田勝頼が家臣の馬場信春に命じ、武田信豊に補佐…

下田城

下田城の築城時期は不明だが、延元2年(1337)の古書に本郷氏島城主志水長門守とあり、この本郷は稲生沢川の下流域に現在も残る地名で、氏島城が鵜島城、すなわち下田城のことであるという。このことから城は、南北朝時代には既に在ったようだ。 その後、城の…

小山城 (遠江)

小山城がいつ頃に築かれたのかは定かではないが、伝承によると、文治年間(1185-90)に小山朝光こと結城朝光によって砦が築かれたのが最初という。 ただ、文治年間というと、源平の争乱終結後であり、その末期が奥州藤原氏との戦いがあった程度で、時代背景か…

興国寺城

北条早雲こと、伊勢盛時が本拠とした城。 興国寺城の築城時期は不明だが、早雲が今川家の家督争いを収めた功で興国寺城に入城した長享元年(1487)かその翌年までには築城されていたとされるほか、早雲自身が入部の際に築いたという説もある。ただ、早雲の興国…

蒲原城

蒲原城南郭の城址碑 海岸に沿って走る東海道と富士川の川筋の街道を押さえる、交通の要衝にある城。 蒲原城を築城したのは誰なのか、はっきりとしていないが、一説に土豪の蒲原氏であるとも、駿河守護の今川氏の一族であるともいう。 蒲原氏の出自は、入江氏…

狩野城

狩野城案内板 狩野氏が本拠とした山城。 この狩野城を居城とした狩野氏は、藤原南家流工藤氏の分かれである。 工藤氏の始祖は、木工助であった藤原為憲で、木工助と藤原で工藤を称した。為憲は、駿河や伊豆などの権守を務め、その孫維景や維景の子維職は官職…