Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

寺社-神社

武田神社

躑躅ヶ崎館跡の石垣と武田神社の鳥居 戦国時代の甲斐武田氏の当主である信虎、信玄、勝頼の3代が本拠とした躑躅ヶ崎館跡に建立された神社で、祭神は武田信玄。 躑躅ヶ崎館は、甲斐武田氏の内訌を収めた武田信虎が、永正16年(1519)に石和から本拠地を移すため…

春日山神社

上杉謙信の居城であった春日山城址内にある神社で、当然のことながら上杉謙信を祀っている。 創建は、明治34年(1901)と比較的新しく、旧高田藩士で、上杉謙信を非常に厚く敬っていた小川澄晴が、明治20年(1887)に神社の創建を発起し、10年以上かけて越後出身…

平泉寺白山神社

平安時代から戦国時代末期まで、越前に絶大な勢力を誇った神社。 祭神は伊奘冊尊(イザナミノミコト)で、配神として天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)と大己貴尊(大国主神)が祀られている。かつて栄え、神仏分離で廃されてしまった霊応山平泉寺における本…

天橋立神社

天橋立内にある天野橋立神社の社 天橋立内にある神社。 主祭神は豊受大神で、大川大明神や海神の八大龍王が祀られていることから、橋立明神とも呼ばれている。 もともと天橋立は、その南の付け根にあって日本三大文殊にも数えられている切戸の文殊、智恩寺の…

吉備津彦神社

吉備津彦神社拝殿 神社本庁が定めた、いわゆる別表神社のひとつで、主祭神は大吉備津日子命。ただし、この神社では、主祭神の大吉備津日子命が一般に言うところの吉備津彦命で、配祭として吉備津彦命の名で祀られているのは、大吉備津彦命の子とも弟ともいう…

吉備津神社

特徴的な吉備津神社の本殿 備中国一ノ宮である神社。 主祭神は、古代の崇神天皇の治世に各地へ送られた4人の将軍のひとりで、桃太郎のモデルともいわれる大吉備津彦命であり、その一族である8柱が配祭。2柱が合祀されている。また、三社宮や若山宮など、摂末…

宗佐厄神八幡神社

宗佐厄除八幡神社の拝殿遠景 八幡信仰と厄除信仰が習合している神社で、地元では厄神さんとして親しまれ、厄除八幡宮とも呼ぶ。ただし、正式名称はそのまま八幡神社である。 神社の歴史は古く、天平勝宝元年(749)2月に孝謙天皇の勅願所として創始されたとい…

神出神社

神出神社拝殿 標高249mの雌岡山に鎮座する神社。 雌岡山と隣の標高241mの雄岡山は一対で、他の地方にも多く見られるように、古代的な夫婦神としての山体信仰があり、それが神道の中に取り込まれて行く中で、神社としての体面を整えて行った神社なのだろう。…

岩屋神社

明石市街の浜手にある神社。延喜式神名帳に記載されている、伊和都比売神社の流れを汲む神社のひとつとされる。 神社の創始は古く、成務天皇13年(143)6月15日に成務天皇の勅命によって淡路島の岩屋にある石屋神社から分霊を勧請し、明石に祀られたという。ま…

湊川神社

建武3年(1336)の湊川の戦いに敗れて自刃した、楠木正成を祀る神社。配祀として、正成の子正行や、弟正季以下正成と共に自刃した16柱も祀られている。 もともとこの地には、楠木正成の塚があったが、そのことを知った水戸光圀が墓所を建て、尊皇攘夷思想が渦…

松帆神社

松帆神社の真っすぐ伸びる参道 百人一首に「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」という歌があるが、その岩屋付近の松帆の浦とは別に、松帆という名を持つ場所は淡路島のあちこちにあり、この松帆神社もそのうちのひとつである。 伝…

柿本神社

柿本神社本殿 三十六歌仙のひとりで歌聖とも称される、柿本人麻呂を祀る神社。神社名の読みは、カキモトではなく、祭神と同じカキノモトである。 柿本人麻呂は、その生没年を始めとして官位や事跡すらよく判っておらず、ただ短歌や長歌だけが残るという、ま…

大石神社

四十七士の像が並ぶ大石神社の参道 赤穂で大石と言えば、忠臣蔵の大石内蔵助がすぐ思い浮かぶように、赤穂浪士四十七士を祀る神社。 俗に言う忠臣蔵とは、元禄14年(1701)に起きた浅野内匠頭長矩による江戸城松の廊下での吉良上野介義央への刃傷事件に始まり…

生田神社

神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつで、延喜式神名帳では名神大社に列している。生田神社の祭神は、稚日女尊(ワカヒルメノミコト)で、これは天照大神の幼名や和魂、あるいは妹ともいう。若々しい日、つまりは朝日信仰だったのだろうか。神功摂政元…

青玉神社

青玉神社説明板 多可町加美区の国道427号線にある道の駅杉原紙の里多可の向かいには、杉の巨木が深い杜を作り出している一角がある。これが天戸間見命(アメノトマミノミコト)と大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)を祀る青玉神社の境内で、他の神社では見ら…