Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

観光地

妻籠宿

木曽路の数ある宿場町の中で、最も江戸時代当時の姿を残していると言える宿場町であり、中山道六十九次の中の42番目に位置していた。 中山道の中でも、木曽谷付近だけを特別に木曽路と呼び、11宿があったのだが、この妻籠宿は南から2番目で、更に南にある馬…

栂池高原スキー場

白馬岳近辺のスキー場の中では、最も北に位置するスキー場で、上級者コースから初級者コースまで多様なコースを揃える大規模なスキー場。現在の正式名称は、白馬つがいけマウンテンリゾートである。 白馬岳東麓一帯におけるスキーは、「長野スキー史」によれ…

菅平高原スキー場

長野県と群馬県の県境に跨る、四阿山の西斜面にある菅平高原にあるスキー場。上田市や長野市からほど近く、長野の数あるスキー場の中でも、比較的地元のスキーヤーやボーダーが多いゲレンデである。最長滑走距離は6000mあり、最大斜度は36°。 菅平でのスキー…

木島平スキー場 (スノーリゾートロマンスの神様)

長野県の中でも北に位置するスキー場で、新潟県とも近く、妙高赤倉エリアの東、野沢温泉の南に位置するスキー場である。 木島平スキー場のオープンは、昭和38年(1963)で、その頃に多く誕生していた、国有林を借り受けた国設スキー場として開設され、木島平村…

鹿島槍スキー場

白馬周辺にあるスキー場群の南、鹿島槍ヶ岳の東麓にあるスキー場。 昭和38年(1963)に鹿島槍国際スキー場として開業し、昭和59年(1984)にサンアルピナ鹿島槍スキー場という名前に改称され、平成22年(2010)からは鹿島槍スキー場という名前となっている。この間…

赤倉温泉スキー場

妙高山の東麓に広がる妙高高原に造られたスキー場で、かつては赤倉観光ホテルスキー場、京王チャンピオンスキー場、赤倉温泉中央スキー場、赤倉くまどースキー場、赤倉銀嶺スキー場、赤倉ヨーデルスキー場という6つのスキー場の総称であった。最長滑走距離は…

兼六園

兼六園案内図 林泉廻遊式の大名庭園で、金沢藩の代々の藩主が愛した庭園。日本三名園、もしくは三大庭園のひとつに数えられ、国の特別名勝にも指定されている。 兼六園作庭以前のこの場所は、百間堀と言う堀を挟んだ城のすぐ向かいということもあり、前田家…

めいほうスキー場

旧明宝村である郡上市明宝地区にあるスキー場で、西日本最大級の規模を誇り、奥美濃地域では最高点の標高が約1600mと最も高く、雪質にも恵まれたスキー場。 開業は、平成元年(1989)と、日本のスキー場の中では新しいスキー場である。そのため、進化したスキ…

ダイナランド

奥美濃にある、比較的規模が大きいスキー場で、昭和47年(1972)12月22日に大日岳国際スキー場として開業した。スタッフの公式ブログによると、後に大日岳スキーへ場へと改称し、昭和61年(1986)から現在のダイナランドの名称になったという。 ゲレンデは、大日…

関宿

かつて東海道の宿場町として栄えたところで、その町並みが今も残っている。 まだ世界の狭かった古代の日本では、鈴鹿山脈が、統治地域の中核である畿内周辺と辺境と見なされた東国を隔てていた壁であり、その東南麓には、境界を防衛、監視する施設として関所…

おはらい町

伊勢神宮の内宮の入口である宇治橋に繋がる鳥居前町。観光地として有名なおかげ横丁も、この鳥居前町の一角にある。 伊勢神宮は、そもそもは天皇家の宗廟であり、個人が崇拝する対象ではないのだが、中世以降は神領が豪族に押領されるなどで経済的な困難が続…

七間朝市

七間朝市の様子 大野市の城下町の中心、寺院が建ち並んで風情のある寺町の南西側の七間通りで行われる朝市。今では朝市に合わせ、通りも七間朝市通りという名になっている。 七間朝市が始まったのは、戦国時代という。越前の国主であった朝倉氏が信長によっ…

九頭竜スキー場

福井県を横断し、三国港まで流れる大河九頭竜川の上流、九頭竜ダムによって作られた九頭竜湖のすぐ近くにあるスキー場で、昭和47年(1972)12月のオープン。スキー場には珍しく、大野市による公営である。 スキー場の大きさ自体はそれほど大きくはないが、大き…

夢京橋キャッスルロード

両替商の看板を出して雰囲気を高めている銀行の店舗 国宝の彦根城を象徴とする城下町の彦根らしく、彦根城の主郭部の南にある京橋から続く通りの建物を、昔の面影を残したデザインに全て統一している。 全国に京橋という地名は多く見られるが、京へ向かう街…

びわ湖バレイ

琵琶湖の西にそびえる比良岳のやや南、蓬莱山と打見山の間にあるスキー場で、最長滑走距離1400m、最大斜度30°。 昭和40年(1965)に開業したスキー場で、当初は運営会社だった産経新聞から名前を採り、サンケイバレイという名で営業していた。同44年(1969)から…

日吉の馬場

日吉の馬場の特徴である穴太積みの石垣と白壁 日吉はヒエとも読み、日吉大社は全国の日吉神社、日枝神社の総本社である。また、比叡山と同じ読みであることから、自然の山そのものを崇拝する古代の山岳崇拝が神道化したというのは間違いなく、後には延暦寺と…

八幡堀

八幡堀と近江八幡の街並み 近江八幡は、天正13年(1585)にこの地へ入部した豊臣秀吉の甥秀次が、城下町を建設する際に、琵琶湖との水運の向上を図って掘削した運河で、全長は約6km。 群雄割拠の戦国時代から変わり、合戦が少なくなった安土桃山時代の風潮を示…

能登川大水車

東近江市にある、能登川大水車とカヌーランドという親水公園にある水車で、直径は13mもあり、関西最大の大きさを誇っている。 もともと琵琶湖南東岸には、陸地に湾入した内湖や葦原の湿地があり、それらが干拓された結果、現在のような広大な農地となった。…

玄宮園

彦根城内にある彦根藩主の庭園。井伊家の下屋敷である楽々園と共に、玄宮楽々園として国指定の名勝となっている。 金沢の兼六園や岡山の後楽園を見れば解るように、江戸時代の城にはたいてい大名庭園が作庭されているが、この玄宮園もそのひとつで、唐の玄宗…

慶雲館

明治20年(1887)2月21日の明治天皇の行幸の際に建てられた建物。 この明治天皇の京都行幸があった当時は、東海道線は長浜駅と今の膳所駅である馬場駅の間がまだ開通しておらず、馬場駅の浜手にあった初代大津駅から長浜駅まで、船便による代替輸送となってい…

旧草津川

周囲のマンションの低層階よりも高い旧草津川の流路と堤防 かつては教科書にも載るほど天井川として有名だったが、流路が変えられて天井川ではなくなり、その跡地が俗に言う旧草津川となった。ちなみに、滋賀県の利用計画などでは、草津川廃川敷地と呼ばれて…

奈良公園

春の夕暮れの奈良公園 言わずと知れた、野生の鹿が闊歩していることで有名な公園で、国の名勝にも指定されている。開園は明治13年(1880)2月14日と、県立の都市公園としては古い歴史を持つ。 公園周辺は、古都奈良の中でも、特に名勝古刹が集中している地域で…

猿沢池

猿沢池全景 猿沢池は、興福寺の放生池として天平21年(749)に造られた人工池で、周囲約360mほどの小さな池である。平均水深は約1.0mで、最大水深は約1.5mという。 放生とは、殺生せずに生き物を自由にすることで、実行すると徳が積めるという仏教の教えから、…

伊根の舟屋

伊根湾に並ぶ舟屋と湾口の青島 船を揚げる倉庫が伊根湾の海岸線に並ぶ様子は、海と一体となった生活を色濃く滲ませ、独特の趣を持った街並みを形成しており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 舟屋は、一見すると東南アジアによく見られる…

道頓堀

戎橋からの道頓堀の情景 道頓堀は、木津川と東横堀川を結ぶ約2.5kmの人工の運河である。ただし、一般的には、道頓堀川に架かる戎橋周辺の飲食店の多い繁華街を指す。 道頓堀を開削した安井道頓は、足利一族である畠山氏の裔といわれ、河内の渋川郡を領して渋…

天保山

現在、広義の天保山という地名は、大阪のウォーターフロントの区画を指す言葉になっているが、その大本となる山は、江戸時代の天保2年(1831)から2年の間に、安治川の川ざらえによって出た土砂を積み上げた人工の山である。当時は標高が20mほどあり、桜や松等…

狭山池 (狭山池ダム)

狭山池と付近の市街地 日本最古のダム式貯水池。現在はダム化されているので、正式には狭山池ダムという。 狭山池は、日本書紀や古事記に記述が見られるようにその歴史は古く、古代に南河内の農業用貯水池として造られたものである。長らく、その正確な築造…

水没ペンション村 (鹿忍グリーンファーム跡)

水没ペンション村を南側から 俗に水没ペンション村と呼ばれる場所は、かつてはテニスやゴルフが楽しめ、コテージに宿泊もできる、鹿忍グリーンファームというリゾート区域であった。しかし、廃業した後、放置される内に徐々に水が溜まり、このような水没の状…

倉敷美観地区

江戸時代の町並みが残る倉敷川沿いの商家町。昭和54年(1979)に国の伝統的建造物保存地区に指定された。 倉敷は、江戸時代の寛永19年(1642)に直轄領となり、その代官所が置かれたのが繁栄の始まりである。天領の年貢を始めとする物資集積地となったことで商都…

天満大池

工事の為に水が抜かれている天満大池 稲美町にある溜池で、湛水面積は34.6haあり、農林水産の選定するため池百選のひとつに数えられている。 溜池の多い稲美野の中でも、天満大池は最も古い溜池とされ、近隣の天満神社の由緒によれば、白鳳3年(675)にその原…