Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

観光地

中浜万次郎像

ジョン万次郎として有名な中浜万次郎の像 ジョン万次郎こと中浜万次郎の立像で、地元の青年会が、昭和43年(1968)7月11日に建立した。 万次郎は、文政10年(1827)の元日に、足摺半島の中浜の漁村で生まれたが、漁師であった父が9歳の時に死去したため、早くか…

中岡慎太郎像

室戸岬の山塊を背に建つ中岡慎太郎像 海軍兵力を持つ坂本龍馬の海援隊と同様、陸軍兵力を持つ陸援隊を率いた中岡慎太郎の立像。昭和10年(1935)に、地元の青年団連合が建立した。 この中岡慎太郎像は、桂浜の坂本龍馬像から遅れること7年の建立で、その間には…

とさいぬパーク

朝早くに土佐闘犬を散歩させる職員 土佐の闘犬を見学することができた施設。平成29年(2017)5月19日に閉園となった。 闘犬といえば、有名なのが土佐の闘犬だが、闘う犬は、狩猟や荷物引きに使われていた丈夫な四国犬に、明治以降にブルドックやポインター、グ…

坂本龍馬像

桂浜を見下ろす坂本龍馬像 桂浜の端の小高い丘に立つ坂本龍馬の像。県青年団が昭和3年(1928)5月に建立した。 像の元になったのは、龍馬の写真として有名な立ち姿で、片手を袖に隠し、もう一方を懐に差して、髪の毛は鬢の辺りが縮れ上がっている。 龍馬は、天…

満濃池

満濃池の堤防前の小島からの眺望 日本最大の灌漑用の溜め池。満濃太郎という名でも呼ばれ、国の名勝にも指定されている。 満濃池が造られたのは、満濃池後碑文によれば、8世紀初頭の大宝年間(701-04)で、その頃の国司である道守朝臣によって工事が行われたと…

二十四の瞳映画村

二十四の瞳映画村入口 映画「二十四の瞳」の撮影舞台となった場所。 壺井栄の書いた「二十四の瞳」の原作は、「ニューエイジ」という雑誌に昭和27年(1952)に発表され、同年12月に単行本化された。映画としては、早くも同29年(1954)に木下恵介監督、高峰秀子…

旧徳島城表御殿庭園

旧徳島城表御殿庭園の築山泉水の部分 旧徳島藩主蜂須賀家の表御殿の庭として作られた庭園。作庭は上田宗箇で、関ヶ原の合戦が行われた慶長5年(1600)頃の作庭とされ、昭和16年(1941)に国の名勝に指定された。 徳島城の最も重要な施設である、表御殿の庭園とし…

水木しげるロード

境港出身の漫画家である水木しげるの名前を冠した通りで、JR境港駅前の境港商店街のメインストリート。 水木しげるは、大正11年(1922)に大阪の住吉に生まれ、この境港で育った。幼い頃、妖怪の話のみならず、人生に大きな影響を与えた「のんのんばあ」という…

偕楽園

偕楽園の中に建つ茶室好文亭 水戸9代藩主徳川斉昭が、天保13年(1842)7月に作庭した廻遊式の庭園で、兼六園、後楽園と共に日本三名園、もしくは三大庭園のひとつに数えられ、国指定の史跡かつ特別名勝である。 偕楽園の名前の由来は、偕(とも)に民と楽しむの…

横川駅

かつて高崎から新潟までを結んでいた信越本線の駅で、明治18年(1885)10月15日に横川線の駅として開業した当初は、終着駅であった。 開業の8年後には、中山道線と改称して軽井沢までが開通したが、碓氷峠の区間は国内随一の急勾配の区間であり、当初はアプト…

川越

小江戸と呼ばれた情緒溢れる城下町。 川越城は、古くは河越城と書き、長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築かれた。 中世の城は、まだ家臣の城下への集住が進んでおらず、ある程度の勢力を持った大名の本拠城でなければ、城下町と言えるほどの町を…

東京タワー

東京タワーを見上げる 東京から半径100kmの首都圏一帯に、地上波テレビ電波とFMラジオ電波を送出する総合電波塔。正式名称は日本電波塔で、昭和33年(1958)10月14日に最高部のアンテナが設置されて今の高さとなり、同年12月23日に開業した。 東京タワーは、高…

上野恩賜公園

上野恩賜公園の象徴となっている西郷隆盛像 一般には上野公園と呼ばれている都立公園で、53.85haの広大な面積を持ち、武蔵野台地から舌状に張り出した台地上にあることから、上野の森とも呼ばれる。 江戸時代の上野恩賜公園一帯は、徳川将軍家の菩提寺であっ…

井の頭恩賜公園

井の頭池を中心とした都立公園で、大正6年(1917)5月1日に開園した。面積は、東京都建設局によれば42.84haという。 井の頭という名前が付いたのは江戸時代だが、それ以前も貴重な水源のある場所として、古代からこの付近に人が住んでいたようだ。 時代が下っ…

横浜マリンタワー

マリンタワーは、横浜開港100周年記念事業の一環として、民間有志の発議によって山下公園の一角に建設が計画され、名前も市民から公募された。完成は昭和36年(1961)1月14日で、その翌日に開業され、平成21年(2009)5月23日と令和4年(2022)9月1日の2度、リニュ…

横浜中華街

横浜が著名になるのは、幕末からである。それまでの付近の主要な湊と言えば神奈川湊で、横浜は、まさに字の通り横の浜という郊外の場所であった。だが、嘉永7年(1854)に日米和親条約が横浜村で結ばれ、横浜が国際港として発展する嚆矢となる。 和親条約に続…

妻籠宿

木曽路の数ある宿場町の中で、最も江戸時代当時の姿を残していると言える宿場町であり、中山道六十九次の中の42番目に位置していた。 中山道の中でも、木曽谷付近だけを特別に木曽路と呼び、11宿があったのだが、この妻籠宿は南から2番目で、更に南にある馬…

栂池高原スキー場

白馬岳近辺のスキー場の中では、最も北に位置するスキー場で、上級者コースから初級者コースまで多様なコースを揃える大規模なスキー場。現在の正式名称は、白馬つがいけマウンテンリゾートである。 白馬岳東麓一帯におけるスキーは、「長野スキー史」によれ…

菅平高原スキー場

長野県と群馬県の県境に跨る、四阿山の西斜面にある菅平高原にあるスキー場。上田市や長野市からほど近く、長野の数あるスキー場の中でも、比較的地元のスキーヤーやボーダーが多いゲレンデである。最長滑走距離は6000mあり、最大斜度は36°。 菅平でのスキー…

木島平スキー場 (スノーリゾートロマンスの神様)

長野県の中でも北に位置するスキー場で、新潟県とも近く、妙高赤倉エリアの東、野沢温泉の南に位置するスキー場である。 木島平スキー場のオープンは、昭和38年(1963)で、その頃に多く誕生していた、国有林を借り受けた国設スキー場として開設され、木島平村…

鹿島槍スキー場

白馬周辺にあるスキー場群の南、鹿島槍ヶ岳の東麓にあるスキー場。 昭和38年(1963)に鹿島槍国際スキー場として開業し、昭和59年(1984)にサンアルピナ鹿島槍スキー場という名前に改称され、平成22年(2010)からは鹿島槍スキー場という名前となっている。この間…

赤倉温泉スキー場

妙高山の東麓に広がる妙高高原に造られたスキー場で、かつては赤倉観光ホテルスキー場、京王チャンピオンスキー場、赤倉温泉中央スキー場、赤倉くまどースキー場、赤倉銀嶺スキー場、赤倉ヨーデルスキー場という6つのスキー場の総称であった。最長滑走距離は…

兼六園

兼六園案内図 林泉廻遊式の大名庭園で、金沢藩の代々の藩主が愛した庭園。日本三名園、もしくは三大庭園のひとつに数えられ、国の特別名勝にも指定されている。 兼六園作庭以前のこの場所は、百間堀と言う堀を挟んだ城のすぐ向かいということもあり、前田家…

めいほうスキー場

旧明宝村である郡上市明宝地区にあるスキー場で、西日本最大級の規模を誇り、奥美濃地域では最高点の標高が約1600mと最も高く、雪質にも恵まれたスキー場。 開業は、平成元年(1989)と、日本のスキー場の中では新しいスキー場である。そのため、進化したスキ…

ダイナランド

奥美濃にある、比較的規模が大きいスキー場で、昭和47年(1972)12月22日に大日岳国際スキー場として開業した。スタッフの公式ブログによると、後に大日岳スキーへ場へと改称し、昭和61年(1986)から現在のダイナランドの名称になったという。 ゲレンデは、大日…

関宿

かつて東海道の宿場町として栄えたところで、その町並みが今も残っている。 まだ世界の狭かった古代の日本では、鈴鹿山脈が、統治地域の中核である畿内周辺と辺境と見なされた東国を隔てていた壁であり、その東南麓には、境界を防衛、監視する施設として関所…

おはらい町

伊勢神宮の内宮の入口である宇治橋に繋がる鳥居前町。観光地として有名なおかげ横丁も、この鳥居前町の一角にある。 伊勢神宮は、そもそもは天皇家の宗廟であり、個人が崇拝する対象ではないのだが、中世以降は神領が豪族に押領されるなどで経済的な困難が続…

七間朝市

七間朝市の様子 大野市の城下町の中心、寺院が建ち並んで風情のある寺町の南西側の七間通りで行われる朝市。今では朝市に合わせ、通りも七間朝市通りという名になっている。 七間朝市が始まったのは、戦国時代という。越前の国主であった朝倉氏が信長によっ…

九頭竜スキー場

福井県を横断し、三国港まで流れる大河九頭竜川の上流、九頭竜ダムによって作られた九頭竜湖のすぐ近くにあるスキー場で、昭和47年(1972)12月のオープン。スキー場には珍しく、大野市による公営である。 スキー場の大きさ自体はそれほど大きくはないが、大き…

夢京橋キャッスルロード

両替商の看板を出して雰囲気を高めている銀行の店舗 国宝の彦根城を象徴とする城下町の彦根らしく、彦根城の主郭部の南にある京橋から続く通りの建物を、昔の面影を残したデザインに全て統一している。 全国に京橋という地名は多く見られるが、京へ向かう街…