Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-埼玉

川越

小江戸と呼ばれた情緒溢れる城下町。 川越城は、古くは河越城と書き、長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築かれた。 中世の城は、まだ家臣の城下への集住が進んでおらず、ある程度の勢力を持った大名の本拠城でなければ、城下町と言えるほどの町を…

鉢形城

戦国時代の北武蔵の拠点となった平山城。荒川の河岸段丘上にあり、崖を防御力とすることから、崖城とも言える。 鉢形城の築城は、山内上杉家臣だった長尾景春によって、文明8年(1476)に築かれたという。 景春は、祖父景仲、父景信が山内上杉家の家宰を務めて…

菖蒲城

あやめ園の中に建つ菖蒲城址碑 足利成氏が支城網のひとつとして築かせた平城。 築城当時の状況としては、享徳3年12月(1455.1)に鎌倉公方であった成氏が関東管領山内上杉憲忠を謀殺したことによって始まった享徳の乱の最中で、上杉氏を支援する幕府の命によっ…

雉岡城

雉岡や八幡山の名から解るように、緩やかな独立丘陵に築かれた平山城で、雉ヶ岡城とも書かれる。 城が築城されたと伝わっているのは、寛正年間(1461.2-66)で、赤松庶流の出で山内上杉顕定の家臣だった夏目定基が築いたという。また、山内上杉氏の居城として…

川越城 (河越城)

扇谷上杉家の家宰であった太田道真・道灌父子により、長禄元年(1457)に築かれた城で、関東七名城のひとつ。戦国時代は河越、江戸時代に入ると川越の字が用いられた。また、伝承から初雁城や霧隠城とも呼ばれる。 河越城が築城された当時は、享徳3年12月(1455…

忍城

関東七名城のひとつで、湖沼に浮かぶように見えたことから、忍の浮城ともいう。 忍城の築城時期には、延徳2年(1490)を始めとして様々な説があるのだが、文明10年(1478)頃の築城が有力といわれている。当時は、古河公方足利成氏と関東管領上杉氏が争った享徳…

岩槻城

当時は岩付城や岩附城とも書かれた平山城で、別名を浮城、白鶴城ともいう。 かつては、長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって江戸城や河越城と共に築かれたとされたが、「鎌倉大草紙」に取り立てられたと記述されている事から、それ以前から存在したと…