Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-岐阜

乗鞍スカイライン

岐阜、長野県境にある乗鞍岳の岐阜側からの入口となる全長14.4kmの有料道路で、乗鞍畳平付近は標高2702mと、日本有数の標高を持つ道路である。 乗鞍スカイラインの歴史は古く、その前身は、乗鞍畳平に計画したエンジンの高地実験施設への軍用道路という。こ…

新橋

水路が街の中に張り巡らされ、宗祇水という名水もある水の城下町郡上八幡には、水に関係するもうひとつの名物がある。その場所がこの新橋で、12mの高さがある橋の上から、「川ガキ」と呼ばれる子供たちが吉田川へ飛び込むのが夏の風物詩になっており、ニュー…

高原郷土館

かつての神岡町こと、飛騨市高原地区の資料を集めた郷土館。鉱山資料館と神岡城、旧松葉家住宅の3つの施設で構成されている。入場料は3館共通。 旧神岡町は、奈良時代から採掘されていた神岡鉱山の影響が強く、中世に高原で興隆した江馬氏も、鉱山資源をその…

関ケ原町歴史民俗学習館

関ヶ原の合戦での、家康の最終陣地である陣場野公園の前にある資料館。昭和57年(1982)に関ケ原町歴史民俗資料館として開館し、令和2年(2020)10月21日からは、関ケ原町歴史民俗学習館に改称されている。 訪れた頃は、まだ歴史民俗資料館の時代であったが、こ…

郡上八幡博覧館

郡上八幡の歴史や民俗を紹介している資料館で、平成3年(1991)の開館。 博覧館の主となる展示は、徹夜で踊り続けるという、あの有名な郡上おどりで、館内で実際に踊りを体験することもできる。 日本三大盆踊りに数えられてる郡上おどりは、郡上節とも呼ばれ、…

岐阜市歴史博物館

斎藤道三や織田信長が本拠を置いた岐阜城のある金華山の、西側の麓にある岐阜市立の歴史博物館で、昭和60年(1985)11月1日の開館。 歴史に特化した博物館だけあって、先史時代から上代の遺物や、中世から近代までの史料数は多く、常設展もなかなか見応えがあ…

岐阜城資料館

斎藤道三や織田信長が本拠を置いた岐阜城跡にある資料館で、昭和50年(1975)4月に開館した。 岐阜城は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の前哨戦で落城して荒廃し、江戸時代には廃城となって加納城へと機能が移されたが、この資料館では、岐阜城の前身である稲葉山…

養老の滝

養老の滝と碑 揖斐川の支流津屋川の水源となる養老山地の滝谷にあり、落差32m、幅4mを誇る滝で、日本の滝100選のひとつ。滝の下流では、流れは涸れ谷となり、伏流水となって津屋川へと流れ込んでいる。ちなみに、現地では養老の滝の表記であったが、「の」が…

徳川家康最初陣地跡 (桃配山)

桃配山に建つ徳川家康最初陣地跡の碑 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、家康が最初に陣を構えた場所。現地の碑には、徳川家康最初陣地と彫られており、それをスポット名としたが、歴史をある程度知っている人間には、桃配山の方が通りが良いのかもない…

徳川家康最後陣地跡

旗が靡く陣場野公園 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、家康が最終的に敷いた陣の跡。地名としては、床几場や陣場野という名が伝わっており、いずれも陣があった事からの名で、現在は整備されて陣場野公園となっている。 家康は当初、ここから東へ2kmほ…

関ヶ原古戦場

慶長5年(1600)9月15日に、徳川家康率いる東軍と、毛利輝元を総大将に担いだ石田三成率いる西軍が激突し、東軍が勝利して江戸幕府創設の端緒となった関ヶ原の合戦の古戦場。 豊臣政権内では、古くから福島正則に代表される武断派と、石田三成に代表される文治…

石田三成陣地跡 (笹尾山)

柵が復元されている石田三成陣地跡 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、事実上、西軍の現地総司令官だった石田三成が陣を敷いた場所。歴史を少し知っている人間なら、笹尾山の方が通りが良いかもしれない。現地の碑に従い、名前を石田三成陣地跡としたが…

めいほうスキー場

旧明宝村である郡上市明宝地区にあるスキー場で、西日本最大級の規模を誇り、奥美濃地域では最高点の標高が約1600mと最も高く、雪質にも恵まれたスキー場。 開業は、平成元年(1989)と、日本のスキー場の中では新しいスキー場である。そのため、進化したスキ…

ダイナランド

奥美濃にある、比較的規模が大きいスキー場で、昭和47年(1972)12月22日に大日岳国際スキー場として開業した。スタッフの公式ブログによると、後に大日岳スキーへ場へと改称し、昭和61年(1986)から現在のダイナランドの名称になったという。 ゲレンデは、大日…

東洋健康ランド

中国的な雰囲気を持たせた健康ランドで、外観は、九龍城が存在した頃の香港のような雰囲気があった。平成28年(2016)8月31日をもって閉館している。 健康ランドの建物は、2階建て程度の横長の建物に大きな看板と目立つネオンという一定のフォーマットがあった…

下呂温泉

日本三名泉のひとつ。開湯は、飛騨編年史要に延喜年間(901-23)、飛州志に天暦年間(947-57)とあるが、いずれも平安時代のことで、湯ヶ峰の山頂近くでの湧出が発見されたという。 最初の源泉があった湯ヶ峰は、小規模な火山で、約10~12万年前に溶岩ドームを形…

臥龍温泉

飛騨一之宮の天然記念物、臥龍桜から名を取った温泉。高山市街から5kmほど南に離れているが、高山市内というこもあり、高山温泉郷の中に含められることもある。 詳細は不明なのだが、施設自体は、かつては臥龍温泉ひまわりとして営業していたようで、平成23…

松倉城 (飛騨松倉城)

松倉城本丸上段の城址碑と飛騨山脈の残雪 松倉城本丸南面の石垣 松倉城本丸上段の虎口 姉小路氏こと三木氏が築いた近世山城。一般には姉小路頼綱(自綱)が築いたとされるが、一説に、その父良頼の代である永禄年間(1558-70)に築かれたともいう。 姉小路家は、…

増島城

増島城南東面の野面積の石垣 天正13年(1585)に、秀吉の家臣金森長近によって飛騨を統一していた姉小路頼綱が討伐された後、古川城に入った長近の養子可重が、翌年に古川盆地支配のために築いた近世平城。 増島城の築城後は、可重がそのまま城主となっていた…

政元城

政元城の本丸と空堀 江馬氏の家臣吉村政元の居城で、国指定史跡である江馬氏城館跡のひとつ。 神岡の傘松城には、平治元年12月(1160.1)の平治の乱に敗れた源義朝の長子義平が飛騨に落ち、傘松城で兵を募ったという伝承があり、その時に家臣正本主馬がこの政…

古川城 (飛騨)

古川城主郭部3段目にある蛤石と城址碑 飛騨国司を務めた姉小路氏の庶家のひとつ、古川姉小路家が拠った城。ただし、城自体の築城年代や築城者は不明で、古川姉小路家による築城かどうかは不明である。 姉小路を家名とした氏族は複数あるが、飛騨国司を務めた…

伏屋城

岐南町の伏屋地区にあった平城。 美濃攻略を目指す信長が、秀吉に命じ、永禄年間(1558-70)に築かせたという。 秀吉は、木曽川周辺の土豪の協力を得、用材を筏に組んで木曽川に流し、一気に運び込んで短期間のうちに砦のような城を築いたといい、その伝承のた…

広瀬城 (飛騨)

飛騨国府の盆地南東端にある山城。国府付近を領地にしていた広瀬氏の居城として築かれ、田中城とも呼ばれた。 広瀬氏は、藤原利仁の流れというが、史料が少なく、その実態は知れない。地生えの豪族であったのか、地頭、あるいはその下で現地を差配する代官で…

東町城

東町城跡に建つ模擬天守である神岡城と城門 地図上には神岡城ともあるが、それは模擬天守の名で、当時の城名ではない。往時は東町城や沖野城、野尻城と呼ばれていたようだが、現地案内板には東町城の名で記されていた。 築城は、永禄7年(1564)という。当時、…

八幡城 (郡上八幡城)

地名を冠して郡上八幡城とも呼ばれ、永禄4年(1561)に東氏を追った遠藤盛数によって、陣城を構えていた峻険な八幡山に築城された。 中世の郡上郡では、承久3年(1221)の承久の乱の功などで所領を得た千葉氏流の東氏が下向して以来、着々と勢力を扶養しており、…

寺林城

築城年代や詳しい事績は不明だが、大正時代に出された「斐太後風土記」に拠れば、最初は寺林付近の領主久米城之介の居城であったと里に伝わっていたようだ。後に、その家老玄蕃が城代となったことから、玄蕃ヶ城や玄蕃城と呼ばれたが、久米氏の没落によって…

高山陣屋

元禄5年(1692)に高山藩主金森頼時が出羽国上山へ転封となった後、天領となった飛騨国の治所となった陣屋。全国に60ヶ所以上あった江戸時代の郡代役所や代官所の中で、ほぼ完全な形として残っている唯一の陣屋である。 陣屋の敷地には、金森氏時代には下屋敷…

高山城 (飛騨高山城)

高山城は、金森長近が築いたとされる話が有名だが、前身は、室町時代に築かれた天神山城である。具体的には、文安年間(1444-49)に飛騨守護であった京極氏の家臣で飛騨守護代を務めた多賀徳言が築き、永正年間(1504-21)には多賀氏の庶流とされる高山外記が再…

諏訪城 (萩原諏訪城)

飛騨随一の勢力を誇った姉小路氏こと三木氏の居城であった桜洞城に代え、萩原地方の治所として築かれた城。飛騨国内に他の諏訪城があるため、一般には地名を冠して萩原諏訪城と呼ぶ。 天正10年(1582)に本能寺で信長が横死した後、その後継者争いの中で柴田勝…

諏訪城 (高原諏訪城)

本丸にある江馬候城趾と書かれた高原諏訪城の城址碑 高原一帯を領した江馬氏の居城。飛騨国内に他の諏訪城が存在するため、一般には地名を冠して高原諏訪城と呼ぶ。 江馬氏は、平清盛の異母弟である経盛の流れとする桓武平氏というが、出自は実際には不明で…