Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

岐阜城資料館

 斎藤道三織田信長が本拠を置いた岐阜城跡にある資料館で、昭和50年(1975)4月に開館した。

 岐阜城は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の前哨戦で落城して荒廃し、江戸時代には廃城となって加納城へと機能が移されたが、この資料館では、岐阜城の前身である稲葉山城の築城から岐阜城廃城までの歴史や、刀剣、武具、古文書などの岐阜城にゆかりのある歴史資料などが展示されている。

 ちなみに、この関ヶ原の合戦の前哨戦での落城時に城主だったのは織田秀信で、清須会議で秀吉によって後継者に擁立された信長の嫡孫三法師その人であった。時代の変遷の中で数奇な運命を辿った武将であるが、当時は岐阜13万石の領主で、関ヶ原の合戦の際には、寡兵ながら祖父信長の桶狭間の合戦に倣って出陣したといわれる。だが、あえなく敗れて北上する東軍の木曽川渡河を許し、岐阜城に籠城するも僅か1日で落城した。信長によって覇者の城と認識されるようになった岐阜城の最後の城主が嫡孫の秀信であるというのも、歴史の因縁を感じるところである。

 資料館は、昭和31年(1956)に復元された岐阜城の模擬天守に続く建物として、城の櫓を模して川島紡績の全額寄付によって建てられた。ただし、往時の櫓の外観復元ではなく、彦根城の櫓を参考にして造られた模擬の櫓である。

 資料館が建っているのは、正に岐阜城の中核と言える金華山山頂部の一角で、前述のように、岐阜城にあったであろう兵糧庫や武器庫などの櫓を模しており、山上の模擬の天守閣と合わせ、往時の岐阜城の雰囲気を醸し出していた。眼下には、長良川岐阜市街が見え、城が天険の地にあったことを再認識させてくれる資料館でもある。

 

最終訪問日:2002/11/13

 

 

規模としてはそれほど大きくない資料館ですが、山上という立地がいいのか、なんか特別感がありました。

そういえば、山城の山頂部分に、天守風の建物以外の資料館があるのは珍しいですね。

その辺りも無意識に感じてたのかな?