Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-愛知

三河湾スカイライン

三ヶ根山の開発を主眼とした三ヶ根山スカイラインと同様、遠望峰山から五井山に掛けての峰筋の観光開発を主眼として開通した観光道路で、昭和46年(1971)に一部開通し、同48年(1973)10月31日に全通した。全長は、資料によって差があり、17.71kmと17.6kmの2つ…

西尾市資料館

西尾城姫丸に建つ西尾市資料館 昭和28年(1953)の西尾市の市制執行時の町議長であり、市制執行から翌々年までの周辺町村との合併に尽力し、昭和36年(1961)から2期の間、市長を務めた杉浦喜之助の寄付と遺志を受けて建てられた資料館で、歴史的な遺物や文化財…

羽豆岬

沖合の岩礁にある羽豆岬灯台 伊勢湾と三河湾を区画する知多半島の突端の岬。岬の灯台は沖の岩礁にあったため、行くことができなかったが、遊歩道での最南端は、実測で北緯34度41分33秒、東経136度58分30秒だった。 古くは幡頭崎や羽豆崎とも書き、羽豆の名の…

日本ライン

長野県から伊勢湾へと注ぐ木曽川の中でも、岐阜県の美濃加茂市太田から愛知県の犬山市にかけての約13kmは、美濃加茂や可児周辺の盆地から濃尾平野へと抜ける山間の区間で、山並みを間近に見ながら下る渓流美から、日本八景河川の部で1位に選ばれている。 そ…

伊良湖岬

伊良湖岬灯台と三重県方向の神島の眺め 太平洋と伊勢湾、三河湾を区画する2つの突き出した半島の内、東側の半島である渥美半島の突端で、読みはイラゴと濁る。古くは伊良湖ヶ崎とも呼ばれ、伊良胡や伊良虞の字も使われていた。灯台は、北緯34度34分34秒、東…

今川了俊墓

今川了俊は、諱を貞世といい、南北朝時代に主に九州での活躍で名を馳せた武将である。 了俊は、宗家である足利氏に従って南北朝時代に駿河や遠江を務めた今川範国の次男として生まれ、今川家の家督自体は兄の範氏が継いでいたが、貞世も幕府の要職を務めるな…

日泰寺

正式名称は覚王山日泰寺で、日本で唯一の無宗派の寺院。無宗派であるため、固定の住職がおらず、各仏教宗派の管長が3年交代の輪番制で住職を務めている。 明治33年(1900)に、当時まだシャムと呼ばれていたタイから、釈迦の遺骨である仏舎利が日本へと贈られ…

熱田神宮

熱田神宮の本宮遠景 古代より熱田台地に鎮座した神社で、その創建は記紀の時代というから、気の遠くなるような歴史を持つ。主祭神は熱田大神で、相殿神は天照大神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、宮簀媛命(ミヤスヒメノミコ…

吉田城

吉田城本丸と復元された鉄櫓 東三河の松平氏や、渥美半島の戸田氏に対する楔として、今川氏親が在郷の武士である渡辺平内治の屋敷を接収し、家臣牧野成時ら宝飯郡の国人地侍に築かせた城で、当初は今橋城と呼ばれた。 築城後に城主となった牧野氏は、東三河…

古渡城

信長の父織田信秀が自らの居城として築いた城。 現地案内板には天文3年(1534)築城とあるが、同8年(1539)の築城説もあり、後者の方が定説になりつつあるという。ただし、どちらの説でも築城と同時に本拠にしたというのは変わらない。 織田氏は、もともとは越…

東端城

東端城説明碑 ヒガシバタと読み、現地説明碑には、天正8年(1580)に長田尚勝によって築かれた城とあるが、安城市では、松平信忠が大浜称名寺に禁制を与えた文亀3年(1503)と同じ頃に整備されたとしている。 城は、信忠の居した安祥城と大浜の間にあるため、そ…

羽豆崎城

羽豆岬にある城。読みは、師崎がモロザキと濁るため、同様にハズザキと濁って読むのだろう。また、羽豆城や幡豆崎城とも書く。 羽豆崎城は、熱田神宮大宮司家の千秋氏によって南北朝時代に築かれた。地形を見ても解るように、陸地の繋がりよりも水運の要とな…

西尾城

西尾城二ノ丸にある復元天守台から二ノ丸と本丸丑寅櫓 西尾城の前身は、足利氏の一門である吉良氏が本拠とした西条城である。 足利氏というのは、庶長子という存在が鍵になる家なのだが、吉良氏もそのようにして分かれた家であった。足利氏初代義康の跡は、…

那古野城

名古屋城二ノ丸にある那古野城城址碑 江戸時代に名古屋城があった場所には、戦国時代には那古野と称する古城があった。織田信長が幼少期を過ごした城として有名な城である。 那古野城の一帯は、平安時代末期に開発された那古野荘という荘園で、東大寺別当小…

名古屋城

名古屋城大天守と小天守 三大名城に数えられる事もある城で、徳川御三家のひとつである尾張徳川家の居城。 名古屋城の城地には、戦国時代にも城があった。一説に信長が生まれた場所ともいう那古野城である。この那古野城が天正10年(1582)頃に廃された後、城…

東条城

櫓門として復元された東条城本丸大手門 東条吉良氏の居城であった平山城。 東条吉良氏は足利一門であるが、足利氏というのは、長子相続が家中であまり重要視されていなかったのか、嫡子ではない長子という存在が割に多く出てくる家で、吉良氏もそのようにし…

田原城

戸田氏によって築かれた城。 三河戸田氏は、寛政重修諸家譜には藤原北家流正親町三条氏の出とあり、公治の子実興が下向し、その子宗光の時に戸田を称したというが、清和源氏の出自とする説もある。清和源氏説では、源義家の曾孫で美濃森氏の祖となる森頼定の…

末森城 (尾張)

末森城城址碑 末森城は、覚王山日泰寺の東南側の城山に築かれていた。東山丘陵の末端部にある城山には、城山古墳群があり、周辺一帯は、古くから勢力が培われた場所であったようだが、城を築城したのは地生えの勢力ではなく、信長の父織田信秀である。 織田…

上ノ郷城

上ノ郷城本丸南側の次郭の土塁上にある城址碑 鵜殿氏の居城。三河物語では西之郡之城とあり、城主の名から鵜殿城とも呼ぶ。 鵜殿氏は、源平の頃の熊野別当湛増の裔と称し、その祖は中古三十六歌仙のひとりで光源氏のモデルのひとりとの説もある藤原実方に連…

形原城 (稲生城)

形原城址碑 三方を海に面した海城の平山城で、稲生城ともいう。 形原城には、築城に関しての伝説があり、方原師光として知られる源師光が、一帯の荘園の下司となった際、久安5年(1149)に居館を造り、それが形原城の前身になったとされる。師光は、新羅三郎義…

大野城 (宮山城)

大野城址碑と模擬天守 知多半島を水野氏と二分した佐治氏の本拠で、宮山城とも呼ばれる平山城。 知多半島の佐治氏は、高望流桓武平氏とされる近江国甲賀の佐治氏の出といわれ、室町時代にその一流が足利一族である一色氏の家臣となったのが始まりという。 一…

大草城

大草城解説板 知多半島の矢田川流域の大野谷は、古くから半島の中でも重要視された場所で、水運の拠点である大野湊があった。このため、明徳年間(1390-94)頃に知多郡の分郡守護を獲得した一色氏は、湊を押さえることが可能な山を選び、支配拠点として大野城…

今川館

駿河で戦国大名となった今川氏の発祥地でもある初期の居館。 今川氏は、西条吉良氏の初代となった長氏の次男国氏を祖とする。吉良荘の内、西条を領した長氏は、今川に隠居したとも、上町の竹崎に隠居したともいわれ、次男国氏に装束料として父義氏から譲り受…

犬山城 (尾張)

木曽川と犬山城天守 木曽川の断崖上にある平山城で、国宝五城の内のひとつ。三國志で有名な中国長江沿いの白帝城に喩えられ、そのまま白帝城と呼ばれることもあるようだ。 犬山付近では、文明元年(1469)に、斯波氏の家臣だった織田広近が、犬山城の南1kmほど…