Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

伊良湖岬

伊良湖岬灯台三重県方向の神島の眺め

 太平洋と伊勢湾、三河湾を区画する2つの突き出した半島の内、東側の半島である渥美半島の突端で、読みはイラゴと濁る。古くは伊良湖ヶ崎とも呼ばれ、伊良胡や伊良虞の字も使われていた。灯台は、北緯34度34分34秒、東経137度1分9秒に位置する。

 伊良湖岬は、万葉集にも登場する場所ではあるが、それは天武天皇の頃の皇族だった麻績王の流刑地として登場する場所であり、風光明媚な場所として知られていたわけではなかったようだ。

 歌は、麻績王の流刑を哀れんだ歌と、それに対する麻績王の返歌があり、いずれにも出てくる伊良虞の島という言葉には、辺境の地という語感が強い。ちなみに、この麻績王の流刑地や出自等に関しては諸説があり、複数の流刑地の候補があるほか、実際に誰に比定される人物かというのは定まっていないという。

恋路ヶ浜

 この伊良湖岬の先の伊良湖水道は、潮流が早く、沖まで暗礁が続くという難所でもあった。このため、航行の安全を図るべく、昭和4年(1929)に灯台が建設され、11月20日に点灯したのが伊良湖岬灯台である。ただ、伊良湖水道の灯台としては最も遅く、明治初期の菅島灯台、明治末期の神島灯台に比べ、遅れた整備であった。

 現在では、中京圏の大量の海上物流の安全を担保する役割と共に、波打ち際にある灯台として伊良湖岬を訪れる観光客の良いランドマークになっている。

 このほか、伊良湖岬では約1kmもある恋路ヶ浜という砂浜が有名で、訪れた時も多くの人が、浜で座っていたり、水遊びをしたり、散策をしたりと、思い思いに過ごしていた。この浜は、身分違い故に許されない仲であった男女が、都を追放されてこの地で暮らしたという伝承から名前が付いており、恋人が訪れる場所にもなっている。

伊良湖岬灯台の解説板

 また、明治31年(1898)の夏に、この地に滞在した柳田國男が、浜で拾った椰子の実の事を島崎藤村に話したことから、藤村が椰子の実という詩を書くわけだが、その椰子の実は、この恋路ヶ浜に流れ着いたものだったのだろう。なかなか雄大な自然の営みを表している話である。

 伊勢湾フェリーを降りた伊良湖港から見て、伊良湖岬灯台恋路ヶ浜は古山という山を挟んだ反対側にあり、車やバイクなら、一旦国道に出てから再び岬先端へ戻るような形で向かうことになるのだが、港からの遊歩道も整備されており、船を降りたその足で向かう人もいるようだ。海岸沿いの遊歩道は、とても綺麗に整備されており、散策するにも心地よい道である。

 

最終訪問日:2015/5/23

 

 

恋路ヶ浜からの水平線の眺めや、灯台からの神島や鳥羽方向の眺めは、とても雄大でした。

訪れた日は曇天でしたが、ぼーっと景色を見ながら清々しく過ごすことができて、とても心地よかったです。