Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-富山

安田城跡資料館

安田城跡資料館の外観 安田城に付随した資料館で、入場料は無料。 天正13年(1585)に佐々成政の富山城を秀吉が攻める際、その本陣となった白鳥城の支城として築かれた安田城に関する資料館で、昭和56年(1981)に安田城跡が国指定史跡になった際に、城跡の整備…

魚津歴史民俗博物館

前身は、昭和48年(1973)10月20日に開館した魚津市立歴史民俗資料館で、同53年(1978)には別館を増築し、さらに同62年(1987)10月1日には、民俗資料館とは別に、現YKK株式会社である吉田工業株式会社の寄贈を受けて吉田記念魚津市立郷土館が開館した。そして、…

不動堂遺跡

昭和49年(1974)12月23日に国指定の史跡となった、縄文時代中期前葉から中葉にかけての遺跡。 北アルプスから流れ出る黒部川や小川の扇状地であるこの一帯は、現在もそうであるように昔からの田園地帯で、耕作のときに土器の破片が発見されることが多かったよ…

氷見温泉

氷見市内には温泉が散在しており、それらを総称して氷見温泉と呼ぶのだが、複数の源泉があることから、氷見温泉郷と呼ぶのが正確だろうか。ただし、単純に氷見温泉と呼んだり、市内でも個別に別の名で呼んでいる温泉を含める場合もあるようで、呼び方は一定…

有磯の湯

氷見駅前すぐのところにあるスーパー銭湯。 平成13年(2001)8月7日に開店したそうで、訪れた時は開店から1ヶ月しか経っておらず、建物内の施設が真新しくて気持ちよかった。 この有磯の湯では、光明石温泉というのが目玉である。 光明石というのは、岡山県の…

安田城

安田城は、天正13年(1585)の秀吉による佐々成政討伐の際に築かれたと推測されている。ただし、築城年代については異説もあり、更に年代が遡る可能性もあるようだ。今後の史料発掘が待たれる。 築城年とされる天正13年(1585)頃の情勢としては、前年の11月に小…

守山城 (越中)

越中三大山城のうちのひとつ。二上山系の城山にあり、二上城ともいう。 守山城の築城時期は不明だが、南北朝時代の建徳2年(1371)に、南朝方の桃井直常が斯波義将の本城守山を攻め落としたと史料にあることから、南北朝時代には既に城として整備されていたこ…

森寺城

森寺城二ノ丸から見る本丸の石垣 能登畠山氏が、越中の拠点として築いた城。当時は湯山城と呼んでおり、一次史料にはその名で登場する。 越中と能登を結ぶ街道は、阿尾川沿いに北上して荒山峠を越える荒山街道が主街道であったが、この街道筋を扼す機能を持…

宮崎城 (越中)

宮崎城説明板 親不知から市振、境にかけて、越後と越中の国境付近は断崖が続くが、その名の通り、越中側の国境である境という地を見下ろす場所に城はある。 境にある境川では、越後勢と越中勢の合戦が幾度もあったが、宮崎城は越中平野部への玄関口を押さえ…

松倉城 (越中)

室町時代から戦国時代にかけての椎名氏の居城で、周辺に水尾城や升方城、北山城などの多くの支城を持つ中世山城である。越中三大山城のひとつ。 松倉城の築城者は不明だが、南北朝時代に越中守護であった井上普門俊清が在城したと史料に見え、延元3年(1338)…

升方城

松倉城の支城である山城。城址碑を見ると、舛方の字も使われているようだ。 松倉城は、南北朝時代から東越中の拠点であり、城主が変遷していく中で随時、拡張と支城網の整備が行われた。升方城もその支城のひとつで、松倉城の北西約1.8kmに位置する城である…

舟見城

舟見城説明板 舟見城は、越中越後境目の宮崎城の城主であった宮崎長康の嫡子入善行重が築いたというが、詳細は不明である。伝統的に、越後から侵入する軍勢に対する監視拠点のひとつであった。 行重の出自である宮崎氏は、藤原不比等の次男房前が興した藤原…

富山城

天文12年(1543)に、神保家臣であった水越勝重が、神通川による自然堤防の微高地に築いた平城。 この勝重には、現在は否定されているが、神保家を再興した長職と同一人物という話が「越登賀三州史」にあり、かつては同一人物と見られていた。また、城自体は、…

天神山城 (越中)

通信鉄塔が建つ天神山城本丸の削平地 標高163mの天神山に築かれた山城で、萩城ともいう。 史料に初めて見えるのは元亀3年(1572)だが、一説には、まだ長尾景虎と名乗っていた頃の上杉謙信が天文23年(1554)に築城したともいい、松倉城との近さから、長尾氏に従…

高岡城

慶長14年(1609)、加賀藩2代藩主前田利長の隠居城となっていた富山城が、城下からの火災によって城内の建物のほとんどを焼失してしまった。これにより、利長は一時、魚津城に身を寄せるのだが、やがて、富山城の再建ではなく、新たな隠居城として関野の地に城…

白鳥城

富山市街の西にある呉羽丘陵に築かれた山城。 白鳥城の築城年代は不詳だが、弥生時代の集落の跡が見つかっており、太古の昔から、平地に対する軍事的優位を得られる拠点として使われていたようだ。有史時代では、木曾義仲の四天王に数えられる今井兼平が越後…

小菅沼城

武隈屋敷跡の碑と石垣 室町時代に越中国新川郡の守護代であった椎名氏の本拠松倉城の北約1.8kmに位置する出城で、家老であった武隈氏の城。武隈屋敷とも呼ばれる。 武隈氏の子孫が記したという「武隈家記」には、暦応4年(1341)に足利尊氏の命で相模から椎名…

北山城

北山城北西端の削平地と物見台跡と思われる台状の地形 南北朝時代から東越中の主たる拠点であった松倉城の、北約2.2kmに位置する支城。 松倉城は、前述のように南北朝時代から戦国時代までの長期間に渡って東越中の拠点として使われたため、随時、拡張と支城…

内山城 (越中)

越中守護であった井上俊清が松倉城を追われた後、籠もった城。 井上氏の来歴は不明だが、鎌倉時代末期には、俊清は越中の有力武将になっていたようで、新川郡の又守護代を務めていたともいい、越中守護で名越流北条氏の北条時有討伐に功を挙げ、建武政権期に…

魚津城

松倉城から角川をまっすぐ下ったところにあるという立地場所でも解るように、魚津城は、もともとは松倉城の支城として築城された。築城年代に関しては、建武2年(1335)に椎名孫八入道が築城したという説もあるが、魚津市では、15世紀に同じく椎名氏によって築…

阿尾城

阿尾城解説板 氷見市の北端、その名も城ヶ崎という海に突き出した岩質の丘陵に築かれた城。 明確な築城時期は不明だが、遺物から15世紀後半頃には城として機能していたようだ。氷見の北部一帯では、当時は吉滝氏や八代氏が勢力を持っており、そのいずれかの…