Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

史跡-その他

一乗谷朝倉氏遺跡

戦国期に小京都と評された戦国大名越前朝倉氏の城下町の遺跡。 朝倉氏は、一般には文明3年(1471)に、敏景とも呼ばれる英林孝景が一乗谷に城を築いたというが、それ以前にも攻防があったという記述が史料にあり、どうやら孝景以前から本拠としていたようだ。…

二條陣屋

二條陣屋前景 二条城や京都所司代に伺候する中小大名の陣屋として利用された建物で、両替や米穀が生業の、豪商萬屋の店舗兼住宅として建てられたものである。 萬屋を興した平右衛門の父は、豊臣政権期に大名であった小川祐忠で、平右衛門はその嫡男という。…

高槻天主教会堂跡

高槻天主教会堂跡の碑 高槻城主であった高山友照と右近重友の父子が、布教活動の拠点として建てた教会堂。 元亀4年(1573)、室町将軍足利義昭と信長の対立の中、高槻城を奪った友照と右近は、信長に仕えて城主と認められ、父子が信仰していたキリスト教を領内…

水攻築堤跡

蛙ヶ鼻築堤の全景 羽柴秀吉が、織田家の中国方面軍司令官として毛利軍と対峙し、備中高松城を水攻めした際に築いた堤跡。 天正10年(1582)、秀吉率いる織田軍は、中国地方攻略の緒戦として、境目七城と呼ばれる領境の城を次々と落とし、4月15日にはその要とな…

大石良雄の石垣跡

大石良雄の石垣跡全景 江戸時代当時、この周辺は大和村と呼ばれ、赤穂藩の飛び地であった。その赤穂藩の家老大石内蔵助良雄が工事を視察した、灌漑の為の石垣である。 赤穂藩は、忠臣蔵にも出てくるように、塩田の経営を成功させており、潤沢な収入があった…