Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

お城-平山城

田中城 (薩摩)

藤原純友の弟遠純の子孫である和田八郎親純が、島津氏の薩摩守護職就任以前の建久年間(1190-99)に居城としていた城。 親純は、伊作荘を始めとする周辺一帯に力を持っていた、薩摩平氏の伊作平次郎良道の女婿という。薩摩平氏は、平姓を賜って桓武平氏高望流…

亀甲城

亀甲城本丸に建つ知覧又四郎忠世の彰忠碑 知覧城の北東方面に対する出城の平山城。別名蜷尻城とも呼ばれるが、出城であるためにその規模自体は大きくない。 知覧には、郡司を務めていた薩摩平氏系知覧氏と、地頭職を務めていた島津系知覧氏がおり、南北朝時…

鹿屋城

亀鶴城とも呼ばれる平山城。 「古城主由来記」には、島津久経の時代に津野四郎兵衛が鹿屋城主であったと記されているといい、現地案内板には、それは承久年間(1219-22)の頃と書かれていたが、久経は元寇の頃の島津氏の当主であり、年代がかなり違う。 一方、…

加世田城 (別府城)

別府城とも加世田別府城ともいい、地名から加世田城の名が一般的だが、現地の表記は別府城となっていた。 加世田城は、南九州に勢力を築いていた薩摩平氏の流れである伊作平次郎良道の子忠明が、治承年間(1177-81)にこの地を領して築いたとされる。以降は、…

鹿児島城 (鶴丸城)

城山の麓のなだらかな傾斜地にある城で、全国的には鹿児島城の名が有名だが、鶴が翼を広げた形に似ていることから鶴丸城とも呼ばれ、現地ではこちらの表示となっている。 島津義弘の子で、義父であり叔父でもあった義久から本宗家の家督を継いでいた忠恒(家…

貝殻崎城

駿河の豪族鮫島氏が、薩摩に下向して築いた城。城主の名から鮫島城とも呼ぶ。 鮫島氏は、佐女島とも書き、藤原南家流工藤氏の流れを汲むとされるが、一説に桓武平氏流ともいう。本貫は駿河国富士郡鮫島で、治承4年(1180)の頼朝の挙兵に鮫島宗家が従っている…

松前城 (福山城)

松前城が完成したのは、江戸時代末期の嘉永7年(1854)9月で、幕府が松前藩主松前崇広に命じて嘉永2年(1849)から築城させたものである。 城の築城や改修に対して非常に敏感であった幕府が、幕命によって築城させるというのは珍しいが、そこには、日本近海に出…

首里城

琉球王朝の首城。シュリジョウやスイグシクと読む。 現在の沖縄県下に、豪族などの支配勢力が現れ始めたのは、12世紀後半である。その頃の王として、源為朝の子という伝承も持つ舜天の名があるが、舜天は実在が疑われており、この時代は、各国に存在する神話…

萩城 (指月城)

周防長門の2州を領した長州藩毛利家の居城。萩城の前身は、指月山に吉見氏が築いた指月城で、このことから指月城と呼ばれることもある。 吉見氏は、中国地方から九州にかけての広大な領土を誇った有力守護大名大内氏の配下として、古くから指月城のある阿武…

沼城 (須々万沼城)

沼城という名称は、沼に囲まれた城という一般名詞に近く、各地にあるため、須々万にあることから地名を冠して須々万沼城とも呼ばれる。 現在の城跡周辺は、開墾されて一面の田園風景となっており、当時の面影はないのだが、当時は三方を沼に囲まれた要害で、…

櫛崎城 (串崎城)

櫛崎城の石垣下の城址碑と石垣上に建つ民家 現地城址碑には櫛崎城とあるが、串崎城とも書く。 天慶3年(940)に藤原純友配下の稲村景家が築城したとの伝承があり、源平合戦の際には、義経が紀伊国熊野、豊後国臼杵、長門国櫛崎の船を集めたとあることから、中…

宮尾城

宮尾城本丸 天文24年(1555)10月に行われた厳島の合戦で、毛利方が陶晴賢軍を誘い込むために死守したと伝わる城。宮ノ尾城とも呼ぶ。 宮尾城の築城は、「陰徳太平記」では、厳島の合戦の直前に築かれた急造の城となっているが、厳島神社の神職であった棚守房…

福山城

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後、安芸備後を領した福島正則は、広島城を本城として領内に6つの支城を配置し、この福山周辺には、神辺城と鞆城に重臣を配した。この2つの城は、戦国時代からすでに存在していた城で、鞆城は、鞆ノ浦を擁する海運に欠かせない重…

鞆城

備後最大の港湾都市であった鞆を押さえる城。 鞆は、古代から潮待ち湊として栄えていたが、南北朝時代初期頃に鞆の東南端のすぐ先にあった大可島に城が築かれたこともあり、陸側に城は無かった。鞆城の創始と見られる城砦が築かれたのは天文22年(1553)で、毛…

大可島城

南北朝時代に激戦地となった城。タイガシマと読む。 大可島城が築城された時期は明確ではないが、鎌倉時代末期から南北朝時代初期と推定されている。当時はその名の通り、現在と違って陸と繋がっていない島であり、古くからの天然の良港である鞆ノ津を押さえ…

尾関山城

背後の比熊山城に三吉広高が城を移した際、その大手の麓の出城として小丸積山に城を整備し、家臣の上里守光を城主として据えたのが最初と伝わる。このため、当初は積山城や小丸積山城と呼ばれた。比熊山城の築城が天正19年(1591)とされるが、天正年間(1573-9…

松江城

天守が現存する12城の内のひとつで、国宝に指定されている五城のひとつ。すぐ南の宍道湖の畔に築かれたことから、日本三大湖城のひとつにも数えられているが、この3城の中では唯一の平山城である。 松江城の前身は、末次城と呼ばれた城で、末次胤清によって…

浜田城

浜田城本丸から一ノ門と桝形の石垣 山の名から、別名を亀山城ともいう。 浜田の地には、天正15年(1587)に吉川元春の次男繁沢元氏が城を改修して拠点としており、その城は浜田城の付近にあったようだ。伝わるところによると、浜田城は、その前身の城を取り込…

高知城

高知城は、山内一豊が本格的に築いた城だが、その前身として、南北朝時代の延元年間(1336-40)に、南朝方として活動した大高坂松王丸が高知城のある大高坂山に城を築き、後醍醐天皇の第7皇子満良親王に比定される花園宮を迎え、北朝方と戦ったという。 だが、…

浦戸城

著名な観光地である桂浜の後背にあった城。 鎌倉時代末期に在地豪族によって城が築かれていたようだが、事績は詳らかではなく、戦国時代に、本山梅慶こと茂宗によって本格的に築城された。築城年代は不明だが、茂宗の父養明が、永正5年(1508)に山田氏や大平…

安芸城

安芸城を居城としていた安芸氏は、長宗我部元親と激しく争った国虎が有名だが、その歴史は古く、遥か古代から土佐東部を領した豪族である。 だが、戦国期以前の系図は明確ではなく、天武天皇元年(672)の壬申の乱で土佐に流された蘇我赤兄の子孫という説が有…

湯築城

伊予の名族、河野氏の累代の居城。 河野氏は、古代氏族越智氏の流れといわれる。越智氏は、孝霊天皇の末裔という説や饒速日命を祖とする物部氏の分かれという説があるが、孝霊天皇は第7代という天皇家草創の頃の人物で、饒速日命も日本書紀や古事記に載って…

松山城 (伊予)

天守の現存する12城の内のひとつで、日本三大連立式平山城にも数えられる城。 現在の松山市街地は、中世は伊予守護の河野氏の本拠地で、道後温泉近くの湯築城がその居城であった。その城跡は道後公園となっているが、松山城からもはっきり確認できるほど近い…

大洲城

大洲城の前身は地蔵ヶ嶽城といい、大洲の字に定まるまでは、大津城とも書かれていた。 築城は、豊前の宇都宮頼房の子豊房が伊予守護に補され、元徳3年(1331)に入国して地蔵ヶ嶽に城を築いたのが最初という。 ただ、伊予守護職は、承久3年(1221)の承久の乱後…

宇和島城

天守の現存する12城の内のひとつ。 宇和島城の築城時期は、はっきりと判っていないが、伝承では、天慶2年(939)末から同4年にかけての藤原純友の乱の際、伊予国警固使だった橘遠保が、砦を構えたのが最初という。その後の伊予国宇和地方は、遠保の活躍もあっ…

丸亀城

大手桝形から天守までを望める丸亀城前景 現存天守がある12城のひとつ。 丸亀城の前身は、宇多津城ともいう聖通寺城を本拠とした奈良元安が支城として築いたもので、砦のような小城だった。築城時期は不明だが、宇多津城が応仁年間(1467-69)の築城とされてお…

羽床城

中讃の豪族羽床氏の居城。 羽床氏は、藤原氏流といわれ、平清盛の義母池禅尼の従兄弟にあたる藤原家成が、保安元年(1120)に讃岐国司として下向し、綾大領貞宣の娘との間に、章隆を儲けた事に始まる。 章隆は、祖父の地盤を継いで綾大領となり、藤太夫を称し…

田井城

中村氏宗が居城とした城。 中村氏は、美濃源氏土岐氏の末流といい、天文年間(1532-55)に美濃から入部し、一説には、この時に中村城を築いたともいわれる。だが、「播州諸家姓氏録」には、嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱で討死した江井通友なる武将が、応永15年(14…

十河城

十河城址碑と解説板 讃岐の豪族で、後に三好一族となった十河氏の居城。 十河氏は、景行天皇の王子神櫛王の末裔という伝承を持つ、古くからの地生えの豪族である。 神櫛王の3世の孫である須賣保禮命が、讃岐国造として下向し、子孫は讃岐公を賜って讃岐国内…

徳島城

江戸時代に阿波と淡路の2ヶ国を領した、蜂須賀氏の居城。 徳島の建つ山には、南北朝時代の至徳2年(1385)に、管領細川頼之の築いた城があり、風光明媚な中国の渭水から名を取って渭津城や渭山城と呼ばれていた。また麓には、河川を防御の要とした寺島城があっ…