Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-東京

不忍池

一見すると、整形された形から人口の池のようにも思えるが、上野恩賜公園のある上野台地と、その向かいの本郷台地の間の低地に水が溜まった天然の池である。 かつての不忍池付近は、武蔵野台地の東の部分を流れた旧石神井川が、飛鳥山を越えられずに南流し、…

井の頭池

武蔵野台地にある湧水池で、善福寺池、三宝寺池と並んで武蔵野三大湧水池にも数えられている。周囲約1.5kmで、面積は約42000m2、平均水深は約1.6m。 東西にYの字の形をした三叉の池で、かつては七つの湧水口があったことから七井の池と呼ばれていたという。 …

徳川慶喜墓

江戸幕府最後の15代将軍徳川慶喜の墓。 慶喜は、徳川御三家のひとつである水戸藩の藩主徳川斉昭の七男として、天保8年(1837)9月29日に江戸で生まれた。父の教育方針によって、生後7ヶ月の当歳で江戸から移って以降、11歳になるまで水戸で過ごし、その聡明さ…

浅草寺

巨大な雷門の提灯で有名な寺院で、下町情緒あふれる浅草の町中に在り、正式名称は金龍山浅草寺という。本尊は聖観世音菩薩で、かつては天台宗であったが、現在は聖観音宗の本山となっている。 推古天皇36年(628)に、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟…

不忍池辯天堂

不忍池辯天堂前景 東叡山寛永寺の堂宇のひとつで、寛永寺の開山となった天海によって建立された。本尊は、その堂の名の通り辯才天だが、一般にイメージされるような琵琶を持った優美な姿ではなく、8本の腕に煩悩を滅する武器を持った八臂辯才天である。 辯天…

寛永寺

江戸幕府3代将軍徳川家光を開基として創建された徳川将軍家の菩提寺。正式には東叡山寛永寺と称し、天台宗の別格大本山で、円頓院の院号を持つ。本尊は、薬師瑠璃光如来と呼ばれる薬師如来立像で、最澄が延暦寺の本尊と同じ木から彫ったと伝わる仏像であり、…

東京タワー

東京タワーを見上げる 東京から半径100kmの首都圏一帯に、地上波テレビ電波とFMラジオ電波を送出する総合電波塔。正式名称は日本電波塔で、昭和33年(1958)10月14日に最高部のアンテナが設置されて今の高さとなり、同年12月23日に開業した。 東京タワーは、高…

上野恩賜公園

上野恩賜公園の象徴となっている西郷隆盛像 一般には上野公園と呼ばれている都立公園で、53.85haの広大な面積を持ち、武蔵野台地から舌状に張り出した台地上にあることから、上野の森とも呼ばれる。 江戸時代の上野恩賜公園一帯は、徳川将軍家の菩提寺であっ…

井の頭恩賜公園

井の頭池を中心とした都立公園で、大正6年(1917)5月1日に開園した。面積は、東京都建設局によれば42.84haという。 井の頭という名前が付いたのは江戸時代だが、それ以前も貴重な水源のある場所として、古代からこの付近に人が住んでいたようだ。 時代が下っ…

八王子城

甲斐との領境を固めるべく、滝山城に代わる城として北条氏照が築いた城。詳しい築城時期は不明で、一般に天正12年(1584)から同15年(1587)にかけて築かれたとされるが、元亀年間(1570-73)頃からすでに築城工事は始まっていたとする説もある。 氏照は、八王子…

滝山城 (武蔵)

山内上杉家臣で武蔵守護代であった大石定重によって、永正18年(1521)に本拠として築かれた。ただ、異説もあり、大石家に入嗣して浄福寺城に入った北条氏照により、永禄年間(1558-70)の中頃に築城されたともいう。 定重築城説の永正年間(1504-21)というのは、…

浄福寺城

城名は、麓の千手山浄福寺から採られているが、寺自体が古くは千手山普門院城福寺と称し、江戸時代後期に今の名となったことから、往時にはこの城名で呼ばれてはいなかった。現地には新城という表示があり、そのほかにも松竹城、案下城、千手山城などと呼ば…

江戸城

武蔵国豊島郡江戸には、平安時代から桓武平氏系秩父氏の一流である江戸氏がおり、江戸城の付近に居館を築いていたと伝わる。明確な江戸城の創始としては、室町時代に東国を治めた鎌倉府のNo.2にあたる関東管領上杉氏の一族、扇谷上杉氏の家宰太田道灌資長が…

江戸古城

江戸古城の痕跡が発掘された近代美術館付近から城域だった江戸城本丸と二ノ丸方向 武蔵国豊島郡江戸は、平安時代から坂東八平氏の一流で桓武平氏系良文流の秩父氏の勢力圏であり、秩父重綱の子重継が地名から江戸氏を称した。その子重長は、鎌倉幕府の御家人…