Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

不忍池辯天堂

不忍池辯天堂前景

 東叡山寛永寺の堂宇のひとつで、寛永寺の開山となった天海によって建立された。本尊は、その堂の名の通り辯才天だが、一般にイメージされるような琵琶を持った優美な姿ではなく、8本の腕に煩悩を滅する武器を持った八臂辯才天である。

 辯天堂の創建の年代は、はっきりしていないようで、辯天堂公式のホームページにも寛永年間(1624-45.1)とだけあり、寛永2年(1625)の寛永寺の創建年以降に、順次整えられて行った堂宇のひとつということなのだろう。

 天海は、江戸城とその鬼門の位置にある寛永寺の関係を、平安京とその鬼門の鎮守となっていた比叡山の関係に見立て、それを設計思想として寛永寺を整備した。

 上野の台地の脇にある不忍池も、比叡山から見える琵琶湖に見立てられ、聖天が祀られていた池の小島を琵琶湖の竹生島として捉え、下館藩主水谷勝隆と相談して大きく拡張し、竹生島宝厳寺から辯才天を勧請している。これによって辯天堂が創始され、当初は舟で参拝していたという。

 その後、谷中七福神巡りの参拝客が増えたことから、寛文12年(1672)に石橋が架けられ、昭和に入ると、築堤工事によって中島はほぼ地続きの状態となり、やがて現在の形となった。辯天堂は、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で残念ながら焼失してしまい、昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート八角堂として再建されている。

 現在の辯天堂は、上野公園の横の不忍池にあるお堂として、また、古くからの谷中七福神のひとつとして有名で、多くの参拝客で賑わっていおり、多くの提灯と赤色が非常に印象的で、華やかなお堂だった。遠くに見える高層ビル群と、不忍池という視界の開けた水場が、良いコントラストとなった、東京らしい寺院と言えるだろうか。

 

最終訪問日:2023/11/28

 

 

訪れたのが、博物館や動物園が休みとなる月曜でしたが、多くの参拝客がいました。

自分のように、上野公園と併せて参拝する人が多いんでしょうね。

江戸時代に観光名所だった寛永寺の面影は、辯天堂に最も残されているのかもしれません。