寺社
伊勢の神霊を勧請した神宮で、戦国時代の永正17年(1520)の創建。伊勢神宮と同様に内宮と外宮があり、それぞれ祭神も同じく天照大御神と豊受大御神である。 山口は、周防と長門の2ヶ国に絶大な勢力を築いた大内氏の本拠地で、その賑わいと安定を慕い、貴族も…
言わずと知れた幕末長州の巨人である吉田松陰を祀った神社。 吉田松陰は、文政13年(1830)に神社の東に住んでいた杉百合之介の次男として生まれ、やがて叔父の家である吉田家へ養子に入った。 吉田家は、藩の山鹿流兵法の指南を代々務める家であり、松陰も山…
功山寺は、正式には金山功山寺といい、千手観音菩薩を本尊とする。中国三十三観音霊場の第十九番札となっており、鎌倉末期の嘉歴2年(1327)に虚庵玄寂によって創建され、当初は長福寺という名称で、開山当時は臨済宗であった。 創建以降、後醍醐天皇や足利尊…
忌宮神社は、かつては長門国二ノ宮の社格を持ち、平安時代には延喜式の式内社にもなるほど格式が高い神社であった。現在は、神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつである。 忌宮神社は、仲哀天皇が熊襲討伐のために、7年間に渡って居した行宮豊浦宮の…
戦前は、府県社に相当する指定護国神社で、現在もいわゆる別表神社のひとつとなっており、社格は高い。 戊辰戦争で命を落とした78柱の御霊を祀るため、広島藩主浅野長訓により、現在地から東へ川を越えた二葉の里に、明治元年(1867)12月に建立された水草霊社…
西國寺の仁王門と門に掛けられた巨大な草鞋 尾道にある真言宗醍醐派の大本山。正式には、摩尼山総持院西國寺という。中国三十三観音霊場特別霊場のほか、中国四十九薬師霊場第十六番札所、備後三十三観音霊場第六番札所でもあり、さすがは尾道有数の古刹とい…
縁結びの仏として知られ、幸運仏としてお堂が建てられたのは、昭和の末期と比較的新しい。 昭和56年(1981)の道路工事の際、1.5mの地下から400年以上前の戦国時代のものという2基の五輪塔が発見され、仲良く並んでいたことから、夫婦なのではないかということ…
日本三景のひとつである安芸の宮島の北側にあり、瀬戸内海に向かって建つ神社で、全国の厳島神社の総本社。古来より安芸国一ノ宮とされ、延期式には明神大社として列しており、現在は神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつである。 創建は、推古天皇元…
特徴的な美保神社の拝殿 境水道の北側、日本海に東へ突き出した島根半島のほぼ突端にある神社で、別表神社のひとつ。 主祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメのミコト)と事代主神(コトシロヌシノカミ)の2柱で、共に大国主にゆかりがあり、三穂津姫命は大国主の后神…
明治維新前後、志半ばにして斃れた志士を慰霊顕彰するため、いくつかの藩が鎮魂の社を建立したが、その動きがやがて全国へと広まった。これが護国神社の前身となった招魂社という神社である。招魂社では、近代国家の成立後は志士だけではなく、国家に殉じた…
日本で最も古い伝承を持つ神社のひとつ。古代から出雲一ノ宮として知られ、延喜式では明神大社に列した式内社であり、現在は、神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつである。 俗に出雲は神話のふるさとといわれるが、その中心である出雲大社の祭神は、…
臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は高福山、院号は幸福院と号す。四国八十八箇所霊場の第三十三番札所。 伝承では、弘法大師空海が開基で、延暦年間(782-806)、あるいは弘仁6年(815)に少林山高福寺という名で開かれ、当然ながら当時は真言宗の寺院であったとい…
大山祇神社神門とその先の拝殿 大三島に鎮座する神社で、全国に勧進された大山積神社や三島神社の総本社。伊予国一宮で、延喜式では、大山積神社の名で明神大社とあり、明治以降の社格は国幣大社であった。戦後は神社本庁の別表神社となっている。 大山祇神…
四国八十八箇所霊場の第八十五番札所で、正確には五剣山観自在院八栗寺という。本尊は聖観世音菩薩で、空海作と伝わる。 寺の伝承によれば、天長6年(829)に、弘法大師空海がこの地で求聞持寺法を修めた際、虚空権現が現れて霊地であることを告げ、5本の剣が…
笠ヶ瀧寺の本堂を見上げる 願掛けの指輪で有名な寺。正確には、万年山安養院瀧湖寺の奥之院笠ヶ瀧である。本尊は不動明王で、大正3年(1914)頃から修験道場として整備されたという。 瀧湖寺は、小豆島八十八箇所霊場の第七十二番札所で、空海が天竺八塔の土を…
白兎神社の鳥居と参道 その名の通り、因幡の白ウサギを祀る神社。主祭神は白兎神で、保食神が合祀されている。現地の表記では、兎の字が異字体なのか少し違っており、上の部分が兎でも兔でもなく、日の横向きの上にノの字だけが直接付いた字だった。 よく知…
明治維新が成立した後、明治政府は、倒幕の過程で志半ばにして斃れた志士を慰霊顕彰するため、招魂社を創設し、それに倣って全国各地にも戦役などで没した英霊を祀る招魂社が建立されたが、その元となったのは、各藩が独自に行ってきた招魂の祭祀であった。 …
二荒山神社前景 いわゆる別表神社のひとつ。二荒山と書いて、一般にはフタアラヤマやフタラサンと読まれるが、日光の二荒山神社はフタラサンと読む。 二荒山神社というのは、この日光以外では宇都宮にもあるため、区別して日光二荒山神社ともいい、古くは北…
日光東照宮表門 説明するまでもなく、徳川家康こと東照大権現を祀る神社で、全国の東照宮の総本社的存在であり、正式には日光が付かず、単に東照宮という名称である。 この日光には、古代から自然崇拝の対象であった日光連山があり、奈良時代の天平神護2年(7…
巨大な雷門の提灯で有名な寺院で、下町情緒あふれる浅草の町中に在り、正式名称は金龍山浅草寺という。本尊は聖観世音菩薩で、かつては天台宗であったが、現在は聖観音宗の本山となっている。 推古天皇36年(628)に、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟…
不忍池辯天堂前景 東叡山寛永寺の堂宇のひとつで、寛永寺の開山となった天海によって建立された。本尊は、その堂の名の通り辯才天だが、一般にイメージされるような琵琶を持った優美な姿ではなく、8本の腕に煩悩を滅する武器を持った八臂辯才天である。 辯天…
江戸幕府3代将軍徳川家光を開基として創建された徳川将軍家の菩提寺。正式には東叡山寛永寺と称し、天台宗の別格大本山で、円頓院の院号を持つ。本尊は、薬師瑠璃光如来と呼ばれる薬師如来立像で、最澄が延暦寺の本尊と同じ木から彫ったと伝わる仏像であり、…
神社本庁の別表神社で、相模国一宮とされる。ただし、国府祭では寒川神社が一宮とされており、鎌倉時代の優遇によって鶴岡八幡宮が一宮と同格に扱われたため、一宮を称しているようだ。また、三大八幡宮に数えられるが、鶴岡八幡宮の代わりに筥崎宮が入るこ…
鎌倉の大仏で有名な寺院で、公式サイトには鎌倉大仏殿高徳院とある。正確には、大異山高徳院清浄泉寺という。 鎌倉の大仏は、日本三大大仏として有名だが、その創建に関しては不明な点が多い。「吾妻鏡」には、嘉禎4年(1238)に寺の所在地である深沢の地で僧…
躑躅ヶ崎館跡の石垣と武田神社の鳥居 戦国時代の甲斐武田氏の当主である信虎、信玄、勝頼の3代が本拠とした躑躅ヶ崎館跡に建立された神社で、祭神は武田信玄。 躑躅ヶ崎館は、甲斐武田氏の内訌を収めた武田信虎が、永正16年(1519)に石和から本拠地を移すため…
正しくは、天台宗では定額山善光寺、浄土宗では大本山善光寺という。他の善光寺と区別するために、信濃善光寺や信州善光寺とも呼ばれる。天台宗の大勧進以下25院と、浄土宗の大本願以下14坊が山内に並存するという珍しい寺院であり、また、他の多くの古刹と…
全国に1万社以上ある諏訪社の総本社で、諏訪湖周辺に上社は前宮と本宮、下社はこの春宮と秋宮の4宮があり、この2社4宮合わせて諏訪大社という。また、延喜式神名帳に明神大社として記載される式内社で、信濃国の一宮でもあり、現在は神社本庁の定める別表神…
全国に1万社以上ある諏訪社の総本社で、諏訪湖周辺に上社は前宮と本宮、下社は春宮とこの秋宮の4宮があり、この2社4宮合わせて諏訪大社という。また、延喜式神名帳に明神大社として記載される式内社で、信濃国の一宮でもあり、現在は神社本庁の定める別表神…
全国に1万社以上ある諏訪社の総本社で、諏訪湖周辺に、上社はこの前宮と本宮、下社は春宮とこの秋宮の4宮があり、この2社4宮合わせて諏訪大社と呼ぶ。 延喜式神名帳には、明神大社として記載される式内社で、信濃国の一宮でもあり、現在は神社本庁の定める別…
全国に1万社以上ある諏訪社の総本社で、諏訪湖周辺に、上社はこの本宮と前宮、下社は春宮と秋宮の4宮があり、この2社4宮を合わせて諏訪大社という。 延喜式神名帳に明神大社として記載されている式内社で、信濃国の一宮であり、神社本庁の定める、いわゆる別…