Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

鳥取縣護国神社

鳥取護国神社の外観

 明治維新が成立した後、明治政府は、倒幕の過程で志半ばにして斃れた志士を慰霊顕彰するため、招魂社を創設し、それに倣って全国各地にも戦役などで没した英霊を祀る招魂社が建立されたが、その元となったのは、各藩が独自に行ってきた招魂の祭祀であった。

 この鳥取護国神社の前身も、そのような招魂の祭祀場のひとつで、鳥取藩主が祭主となって幕末から戊辰戦争で斃れた藩士を祀った祠が、その最初である。

 明治4年(1871)の廃藩置県に伴い、各地の藩は県へと改称され、藩主は華族となって東京に移り住んだが、各藩が執り行っていた招魂の祭祀は、これと同時に県へと移管されることとなり、東京招魂社への合祀によって招魂社へと名称が変わった。

 鳥取藩の場合も同様で、鳥取藩主の祀っていた祠が、この動きに伴って鳥取招魂社と改称している。そして、昭和14年(1939)には内務省令で護国神社に改称され、府県社に相当する指定護国神社となった。

鳥取護国神社拝殿

 戦後は、占領統治への配慮から、一旦は因伯神社へと改称されたが、その後の日本の独立回復と共に護国神社の名称に復し、昭和49年(1974)に鳥取市街から現在地に移転したという。

 国道9号線から鳥取砂丘へと入る道に砂丘トンネルがあるが、鳥取護国神社は、この砂丘トンネルのすぐ近くにある。戦前は指定護国神社だったため、社格も高く、存在感のある神社だったはずだが、現在は別表神社からも外れており、地域の神社という感じだ。

 境内には、遺骨収集事業の際に回収された、旧日本軍の機関銃や鉄のヘルメット、飯ごうなどが展示されているほか、フィリピンで戦没した人の慰霊碑などもあって、静かに英霊を祀っているという雰囲気が漂っていた。市街地から現在地に移転してきたそうだが、祀られる御柱にとってみれば、このような穏やかな環境の方が良いのかもしれない。

 

最終訪問日:2025/6/21

 

 

最初は、鳥取砂丘近辺をブラブラと走っている際に発見し、寄ってみた神社でした。

護国神社だけではなく、周辺には慰霊碑や顕彰碑が多く立てられていて、鎮魂や祈念の空間でしたね。

29年振りに訪れましたが、相変わらず綺麗に整備されていて、きちんと守られ続けている神社なんだなと感じました。