Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別

金精道路

栃木県の日光湯元付近から群馬県の菅沼付近を結び、県境にある金精峠の真下を通る道路で、単に金精峠と呼ばれることもある。道路としては、昭和40年(1965)10月7日に開通し、平成7年(1995)10月7日に無料開放された。全長8.14km。 日光は、元は修行の場として…

碓氷峠

長野県と群馬県の県境にある峠。峠と名前は付けられているが、実質的な片勾配の道で、群馬県側からひたすら上る道である。峠の最高点は標高956m。 碓氷峠周辺の地形が成立したのは、20万年前から30万年前という。当時の一帯は、火山活動に伴う噴出物が堆積し…

碓氷関跡

当時の部材で復元された碓氷関所の東門 信濃国から関東の上野国に入る場所に設置された関所。江戸時代には、東海道の箱根の関所と共に、主要街道の江戸に近い関所として、最重要の場所となった。 碓氷峠への道に関所が設置されたのは古く、平安時代の法令集…

横川駅

かつて高崎から新潟までを結んでいた信越本線の駅で、明治18年(1885)10月15日に横川線の駅として開業した当初は、終着駅であった。 開業の8年後には、中山道線と改称して軽井沢までが開通したが、碓氷峠の区間は国内随一の急勾配の区間であり、当初はアプト…

尻焼温泉

川を堰き止めた野趣あふれる尻焼き温泉 長笹沢川を堰き止めた巨大露天風呂が有名な温泉。 平家の落人に発見されたという伝説を持つ温泉で、開湯時期は不明だが、江戸時代には既に知られていたという。名前の由来は、漢字そのままで、川底から湧き出す温泉で…

草津温泉

草津温泉の象徴である湯畑を横から 日本三名泉のひとつ。 正確に言えば源泉が多数ある温泉郷で、そのほとんどを町で所有、管理しており、湯畑、白旗、西の河原、地蔵、煮川、万代鉱の6つの源泉が代表的である。これ以外に、個人や宿泊施設などが管理する源泉…

大塚温泉

金井旅館全景 金井旅館という一軒宿の温泉で、ぬる湯で有名。 開湯がいつ頃だったのかというのは分からないが、「温泉薬師延喜書」に、湯前薬師堂が創建されたのが弘仁12年(821)とあるほか、建仁2年(1202)との説もあり、いずれにしても、相当古くから温泉と…

箕輪城

長野氏が居城とした平山城で、築城は信玄を撃退したことで著名な業正の祖父尚業によって永正年間(1504-21)に築かれたと一般的にいわれているが、業正の父憲業が築いたとも、尚業以前から居していたともいう。 上野の守護代を務め、山内上杉家の勢力衰えた頃…

松井田城

信濃との国境の抑えとして重要視された山城。 松井田城の築城は、永禄年間(1558-70)の初期頃と考えられるが、その前身は、松井田西城や諏訪城とされる。 松井田西城や諏訪城は、松井田城から見て西にある金剛寺や諏訪神社辺りが城地であったとされ、その後背…

前橋城

東西を利根川と広瀬川に挟まれた城で、戦国時代は厩橋城といった。 東山道の群馬の厩が近く、それが地名の起こりであるという。その頃は、正確にウマヤバシと発音していたと思われるが、次第に転訛し、戦国時代の頃にはウが消えてマヤバシとなり、さらにマエ…

平井城

関東管領を務めた山内上杉氏の本拠。 平井城は、永享10年(1438)に築城されたとされる。当時は、鎌倉公方足利持氏が関東管領上杉憲実と対立して幕府によって討伐された争乱である、永享の乱が勃発した頃であり、上杉家臣で総社長尾家の祖となる長尾忠房によっ…

箱田城

箱田城解説板 白井長尾家の本拠白井城の出城。 築城廃城年代は不明だが、伝承では、木曾義仲の郎党であった今井、高梨、小野沢氏の末裔である箱田地衆の居館であったという。現地案内板には、戦国時代に白井城の出城として、同じく箱田地衆が築いたとある。 …

沼田城

沼田城は、天文元年(1532)に当地に勢力を持っていた沼田氏12代の顕泰が、3年を掛けて築城し、当時は蔵内城と称していた。 沼田氏の出自は、平氏系の三浦氏の出であるという説や、中原氏系大友氏の流れという説など諸説があり、はっきりとはしていない。室町…

並木城

尻高(シッタカ)城の里城。尻高城は、この並木城と詰城の要害城を併せた呼び名という。 並木城を含む尻高城は、白井長尾氏の景春(重国)が家臣に命じて応永8年(1401)3月から築城させ、翌々年2月に完成したという城で、重国の三男重儀が入って尻高氏を称したと…

名胡桃城

小田原の役の原因となった事で有名な城。 名胡桃城の築城は、一説には武田家臣真田昌幸が沼田城攻略のために天正7年(1579)に築いたとされてきたが、一方で、明応年間(1492-1501)に沼田城主沼田景久の三男景冬によって築かれ、景冬は名胡桃氏を称したという伝…

館林城

復元されている館林城三ノ丸土橋門 江戸時代に書かれた「館林記」には、天文年間(1532-55)から弘治年間(1555-58)にかけて赤井照光が築城したとあるが、それが確認できる記録は発見されていない。 史料上の最古の記録では、文明3年(1471)に赤井文六・文三の居…

高崎城 (上野)

高崎城の前身として、和田城という城があり、鎌倉時代に和田正信が居館を構えたとも、正長元年(1428)に和田義信が築城したとも伝えられる。 和田氏は、坂東八平氏のひとつに数えられる三浦氏の庶流で、最初に和田を称した義盛は、初代侍所別当を務めた鎌倉幕…

白井城 (上野)

山内上杉氏の重臣、白井長尾氏の本拠。シライではなくシロイと読む。 長尾氏は、坂東八平氏に入ることもある名族で、一般に高望王を祖とする桓武平氏とされるが、高望王の子平良兼系とする説と、同じく良文系とする説がある。また、土着豪族の仮冒という説も…

五覧田城

五覧田城関守口の案内 詳細な築城年代は不明だが、北条氏が古くから深沢城を本拠としていた阿久沢彦三郎に命じて築かせた城という。 眼下の小黒川に沿って現在の利根町、そして沼田へと抜ける赤木山東麓の街道を押さえる城であった。ただし、現在は渡良瀬川…

金山城 (平井金山城)

関東管領を務めた山内上杉氏の本拠平井城の、詰城と推測される山城。 金山城の里城となる平井城は、永享10年(1438)から翌年にかけての永享の乱の際に築かれた。永享の乱とは、鎌倉公方足利持氏が関東管領上杉憲実と対立し、幕府によって持氏が討伐された争乱…

金山城 (新田金山城)

新田氏流の岩松家純が、応仁3年(1469)に築城したという山城で、関東七名城のひとつに数えられている。 新田氏は、源八幡太郎義家の孫義重が上野国に土着して広大な土地を開発し、新田を称したのが始まりで、義重は、下野国に土着した義重の弟足利義康の孫で…

大胡城

平安時代末期の大胡周辺では、室町幕府を開いた足利氏とは別系の、藤原秀郷系足利氏の庶流である大胡氏が拠っていた。ただ、この頃の居館は現在の大胡城には無く、他の場所にあったと推測されている。 大胡氏は、足利成行の子重俊を祖とし、天仁元年(1108)の…

岩櫃城

武田三堅城のひとつ。 岩櫃城の築城時期は不明で、伝わる話としては、藤原秀郷流で秀郷の4代後の兼助及び5代後の兼成が吾妻権守を称し、この頃に岩櫃に居したとする話や、その数代後の吾妻助亮が鎌倉幕府草創期に最初に居城したという話があるが、これらは伝…

石倉城

城の立地が示すように、崖端城ともいう。利根川の削った崖を利用している典型的な崖城で、平山城と違い、城内の地形はほぼ平坦である。 現地の説明では、石倉城は1.5kmほど西の蒼海城主であった長尾忠房の子憲景が文明17年(1485)に築いたという。 しかし、忠…

川越

小江戸と呼ばれた情緒溢れる城下町。 川越城は、古くは河越城と書き、長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築かれた。 中世の城は、まだ家臣の城下への集住が進んでおらず、ある程度の勢力を持った大名の本拠城でなければ、城下町と言えるほどの町を…

鉢形城

戦国時代の北武蔵の拠点となった平山城。荒川の河岸段丘上にあり、崖を防御力とすることから、崖城とも言える。 鉢形城の築城は、山内上杉家臣だった長尾景春によって、文明8年(1476)に築かれたという。 景春は、祖父景仲、父景信が山内上杉家の家宰を務めて…

菖蒲城

あやめ園の中に建つ菖蒲城址碑 足利成氏が支城網のひとつとして築かせた平城。 築城当時の状況としては、享徳3年12月(1455.1)に鎌倉公方であった成氏が関東管領山内上杉憲忠を謀殺したことによって始まった享徳の乱の最中で、上杉氏を支援する幕府の命によっ…

雉岡城

雉岡や八幡山の名から解るように、緩やかな独立丘陵に築かれた平山城で、雉ヶ岡城とも書かれる。 城が築城されたと伝わっているのは、寛正年間(1461.2-66)で、赤松庶流の出で山内上杉顕定の家臣だった夏目定基が築いたという。また、山内上杉氏の居城として…

川越城 (河越城)

扇谷上杉家の家宰であった太田道真・道灌父子により、長禄元年(1457)に築かれた城で、関東七名城のひとつ。戦国時代は河越、江戸時代に入ると川越の字が用いられた。また、伝承から初雁城や霧隠城とも呼ばれる。 河越城が築城された当時は、享徳3年12月(1455…

忍城

関東七名城のひとつで、湖沼に浮かぶように見えたことから、忍の浮城ともいう。 忍城の築城時期には、延徳2年(1490)を始めとして様々な説があるのだが、文明10年(1478)頃の築城が有力といわれている。当時は、古河公方足利成氏と関東管領上杉氏が争った享徳…