Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

川越

 小江戸と呼ばれた情緒溢れる城下町。

 川越城は、古くは河越城と書き、長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子によって築かれた。

 中世の城は、まだ家臣の城下への集住が進んでおらず、ある程度の勢力を持った大名の本拠城でなければ、城下町と言えるほどの町を持っていなかったが、この川越城は、関東地方のナンバー2だった関東管領上杉氏の一門である扇谷上杉氏の拠点として築かれた城だったため、当時から城下町は存在したはずである。この城下町が、現在の川越の街の嚆矢となった。

小江戸川越と呼ばれる蔵造りの街並み

 扇谷上杉氏の持ち城だった川越城は、戦国時代中期には北条氏の持ち城となり、天正18年(1590)の北条氏の滅亡後は、酒井重忠が1万石で領したが、当時の石高は小さく、城下町もそれほど大きくなかったと思われる。

 その後、寛永15年(1638)の大火を経て、寛永16年(1639)に知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が入城すると、大火からの復興を図って城の大きさが倍ほどになる大改修を行い、新河岸川に九十九曲りを形成して川越五河岸を成立させるなど、舟運の中継地として栄えた商都川越の基盤が築かれた。

川越の街のシンボルになっている時の鐘

 江戸時代に小江戸と呼ばれた川越の街並みは、この繁栄によって蓄積された資本の結果ではあるが、明治26(1893)3月17日の川越大火で、街の3分の1が焼失してしまう。この時、蔵造りの建物が多く焼け残ったことから、復興の際に防火性を重視して蔵造りの建物が増え、蔵造りの街並みとなった。

 現在の川越の街並みは、平成11年(1999)に重要伝統的建造物群保存地区に指定されたことで建物の保存、維持が図られ、江戸時代の蔵造りの街並みがよく残っている。それ以外にも、お菓子横丁や時の鐘など、江戸時代と明治後の近代の建物や雰囲気が残されており、レトロな雰囲気の中、食べ歩きができるようになっていた。都心から比較的近い上に交通の便も良く、都民にとっては、ほどよい距離感でレトロな雰囲気が楽しめる観光地となっている。

 

最終訪問日:2019/5/13

 

 

訪れたのは平日だったんですが、観光客の多さにびっくりしました。

箱根に行った際にも感じましたが、首都圏に近い観光地は、平日でも人の多さが他の地方の休日並みです。

つい商売で考えてしまうんですが、平日でもこれだけ人通りがあれば、有り難いでしょうね。