Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-京都

渡月橋

渡月橋全景 桂川に架かる橋。京都嵐山には欠かせない橋で、嵐山の風景写真や映像には、橋のやや上流にある一ノ井堰や嵐山の山容と共に、必ずと言っていいほど登場する。 渡月橋が最初に架けられたのは、平安時代の承和年間(834-48)とされ、特に同3年(836)頃…

新童子橋

新童子橋入口 一般にひと括りにされて大江山と呼ばれる大江連山の東の中腹、二瀬川渓流に架かる吊橋。全長77mで、平成6年(1994)10月に架橋された。 大江山は、酒呑童子という鬼の住処として知られ、源頼光と四天王によるライコウさんの鬼退治の話でも有名で…

廻旋橋

廻旋橋からの眺めと橋の下を通る小型船 天橋立の南側の入口にある全長36mの橋で、本土側と小天橋の間に架かっており、その細い運河状の水道を航行する船を通すため、その名の通り回転できるようになっている。 天橋立へ渡るもともとの手段は渡し船で、この橋…

宮津市歴史資料館

宮津市の歴史に関する資料や複製模型などを展示している資料館で、平成14年(2002)5月12日の開館。 資料館は、宮津の歴史的中心であった宮津城跡から、西側の外堀代わりであった大手川を北西側に渡った先にある、みやづ歴史の館に併設されている。みやづ歴史…

保津峡

桂川の上流、亀岡から嵐山に至るまでの保津川沿いの渓谷で、保津川峡谷とも呼ばれる。全長は約11.5km。 桂川の上流部の名前は、行政的な正式名称は下流と同じく桂川だが、大堰川や保津川とも呼ばれている。一般的には、亀岡から嵐山までの狭隘な渓谷部を保津…

経ヶ岬

経ヶ岬解説板 丹後半島先端の岬で、近畿地方の最北端。岬に建つ経ヶ岬灯台は、北緯35度46分38秒、東経135度13分24秒に位置する。 国道178号線から北に分岐している比較的広い道を700~800mほど行った所に駐車場と展望台があり、日本海の水平線を眺めることが…

天橋立

南からの飛龍観の昭和50年代頃の眺め 白砂青松が続く砂嘴で、国指定の特別名勝に指定されている。宮島や松島と並ぶ日本三景のひとつ。 伝わる神話としては、イザナギノミコトが立てかけておいた天界と下界を結ぶ梯子が、寝ている間に倒れ、天橋立になったと…

二條陣屋

二條陣屋前景 二条城や京都所司代に伺候する中小大名の陣屋として利用された建物で、両替や米穀が生業の、豪商萬屋の店舗兼住宅として建てられたものである。 萬屋を興した平右衛門の父は、豊臣政権期に大名であった小川祐忠で、平右衛門はその嫡男という。…

智恩寺

智恩寺文殊堂 天橋立の入り口にある古刹で、正式には天橋山智恩寺という。別名、切戸の文殊とも呼ばれており、日本三大文殊のひとつ。 大同3年(808)に平城天皇の勅願寺として創建された寺院であるが、現在の智恩寺としては、醍醐天皇より寺号を賜った延喜4年…

天橋立神社

天橋立内にある天野橋立神社の社 天橋立内にある神社。 主祭神は豊受大神で、大川大明神や海神の八大龍王が祀られていることから、橋立明神とも呼ばれている。 もともと天橋立は、その南の付け根にあって日本三大文殊にも数えられている切戸の文殊、智恩寺の…

伊根の舟屋

伊根湾に並ぶ舟屋と湾口の青島 船を揚げる倉庫が伊根湾の海岸線に並ぶ様子は、海と一体となった生活を色濃く滲ませ、独特の趣を持った街並みを形成しており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 舟屋は、一見すると東南アジアによく見られる…

浅茂川浦島温泉

浅茂川浦島温泉からすぐの八丁浜海岸 丹後半島の北側に位置する、日本海に面した海辺の温泉。 丹後半島にはいくつか温泉があるが、浅茂川浦島温泉もそのひとつで、八丁浜浅茂川海水浴場付近に、平成10年(1998)に新たに湧出した比較的新しい温泉である。 浅茂…

吉原山城

吉原山城から日本海を望む 城下の名前を取って、峰山城と呼ばれることもある。 嘉慶2年(1388)、丹後を巡って山名氏と争っていた一色詮範が、父範光の死に伴って本城であった建部山城から退き、吉原山祇山に山城を築いて籠ったのが最初という。この後、詮範、…

弓木城

弓木城登山口 丹後守護一色氏滅亡の城として有名な山城。 弓木城は、一色氏最後の当主義清が滅んだ城として知られているが、もともとは一色氏の城ではなく、稲富氏が築いた城である。稲富氏は、稲富と名乗る前は山田と名乗っており、一帯の開拓地主ではない…

八木城

八木城本丸 丹波国の守護代を務めた内藤氏の本拠で、丹波三大城郭のひとつ。 内藤氏は、藤原秀郷流とされるが、その歴史には不明な所が多い。伝承では、元弘3年(1333)の丹波国篠村八幡宮での足利尊氏の挙兵に内藤顕勝が参加し、功によって建武2年(1335)に船…

宮津城

宮津城解説板 室町時代の丹後は、一色氏が若狭武田氏や山名氏と争いつつも、ほぼ守護職を世襲し続け、戦国期までその勢力を保っていた。戦国末期の当主義道は、信長の上洛以降、その勢力伸張を見て接近したが、将軍足利義昭が天正元年(1573)に信長追討の兵を…

峰山陣屋

開墾されている陣屋跡 峰山藩京極氏の首府であった陣屋。 峰山の地は、嘉慶2年(1388)に、丹後の守護であった一色詮範が、防衛のために後背の吉原山に築いた吉原山城があり、一色氏が田辺の守護所に戻った後も、奥丹後の拠点として一色一族の吉原氏が城主を務…

福知山城

明智光秀が丹波攻略後に再築した平山城。 もともとは、眼下に土師川、由良川の合流点を見下ろす舌状台地の横山に、豪族塩見氏が文亀年間(1501-04)頃に築城した横山城があった。更に遡れば、弥生時代にも砦として利用されていたと発掘調査から推測されており…

二条城

元離宮二条城の碑 歴史上、二条城と呼ばれた城は複数あり、古くは二条に在った室町将軍の居館をそう呼んだ。転じて、場所に関係なく将軍の居城を二条城と呼ぶようになったという。ただ、将軍家の居城としては、二条御所や武家御所という呼称の方が一般的であ…

田辺城 (舞鶴城)

模擬復元された田辺城の城門と隅櫓 舞鶴市は、軍港の東舞鶴と城下町の西舞鶴に分けられるが、城は当然ながら西舞鶴にある。 明智光秀と共に天正6年(1578)から丹後攻略に取り掛かっていた細川藤孝は、翌年に一色義道を居城の建部山城から追い、その子義定(義…

園部城

園部城址碑 園部には、戦国時代から城があったといわれ、明智光秀の丹波攻略で天正6年(1578)に荒木氏綱が籠る城を降したとの記述が信長公記にあり、この氏綱の籠った城が園部城だとされる。だが、これが園部城のことを指すのか、篠山の細工所城のことを指す…

久美浜城 (松倉城)

現地には松倉城とあるが、久美浜城とも呼ばれ、築城は、一色氏時代にこの地を領していた小領主だと思われるが、詳細ははっきりしない。僅かに、一色時代末期に松倉周防守が居城としていたということが、史料にはある。 天正10年(1582)、長い間守護として丹後…

亀山城 (丹波亀山城・亀岡城)

伊勢の亀山城と区別して、丹波亀山城や亀岡城ともいう。 明智光秀が、丹波攻略の拠点として天正6年(1578)に築いた城とされているが、それ以前の亀山には、丹波守護代内藤氏の一門、内藤忠行が居城とした亀山城があり、亀山城と呼ばれる城の歴史は、明智時代…