Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

都道府県別-大阪

暗峠

暗峠の頂上 第二阪奈道路に併走するように走る国道308号線の府県境にある峠で、クラガリ峠と読む。 一般に暗峠と言えば、この峠部分を含んだ前後の区間を指す暗越奈良街道のことで、一部では非常に知られている特徴のある道だ。峠を、国道170号線箱殿交差点…

高槻市立歴史民俗資料館

商家内に掛けられていた笹井家住宅の解説板 かつての高槻城三ノ丸である、城跡公園の中に建つ歴史民俗資料館。 この資料館の建物は、高槻城下の紺屋町で干物や瀬戸物を扱っていた商家笹井家の店舗兼住宅を移築復元したもので、白壁と本瓦葺が印象的な江戸時…

狭山池博物館

日本最古の灌漑用のダム式貯水池である狭山池の、ダム化を記念して建てられた狭山池と土地開発史についての博物館。開館は平成13年(2001)3月28日。 狭山池は、古事記や日本書紀に登場するほどの歴史を持ち、それまでも日本最古のダム式貯水池といわれてはい…

岸和田市立郷土資料館

かつて岸和田城内にあった郷土資料館で、復元された多聞櫓門と隅櫓の内部を使用していた。開館は、櫓の完成公開と同じ昭和45年(1970)5月15日で、閉館は、平成19年(2007)3月31日である。 郷土資料館で展示されていた内容は、復元された岸和田城の櫓内にあった…

高槻天主教会堂跡

高槻天主教会堂跡の碑 高槻城主であった高山友照と右近重友の父子が、布教活動の拠点として建てた教会堂。 元亀4年(1573)、室町将軍足利義昭と信長の対立の中、高槻城を奪った友照と右近は、信長に仕えて城主と認められ、父子が信仰していたキリスト教を領内…

大仙陵古墳 (仁徳天皇陵古墳)

大仙陵古墳の遠景 第16代天皇の仁徳天皇の陵墓に比定されている古墳で、日本最大の前方後円墳として有名。 5世紀前半から中頃の築造とされ、宮内庁では百舌鳥耳原中陵、考古学的には大仙陵古墳というのが正式名称である。かつては、仁徳天皇陵や仁徳天皇陵古…

今城塚古墳

今城塚古墳の前方部と造出し部分 第26代天皇の継体天皇の陵墓に推定されている古墳。ただし、宮内庁の陵墓参考地には指定されておらず、発掘可能な大王墓として貴重な存在である。 今城塚古墳は、古墳時代後期の6世紀前半に築造された、二重の環濠を持つ前方…

道頓堀

戎橋からの道頓堀の情景 道頓堀は、木津川と東横堀川を結ぶ約2.5kmの人工の運河である。ただし、一般的には、道頓堀川に架かる戎橋周辺の飲食店の多い繁華街を指す。 道頓堀を開削した安井道頓は、足利一族である畠山氏の裔といわれ、河内の渋川郡を領して渋…

天保山

現在、広義の天保山という地名は、大阪のウォーターフロントの区画を指す言葉になっているが、その大本となる山は、江戸時代の天保2年(1831)から2年の間に、安治川の川ざらえによって出た土砂を積み上げた人工の山である。当時は標高が20mほどあり、桜や松等…

狭山池 (狭山池ダム)

狭山池と付近の市街地 日本最古のダム式貯水池。現在はダム化されているので、正式には狭山池ダムという。 狭山池は、日本書紀や古事記に記述が見られるようにその歴史は古く、古代に南河内の農業用貯水池として造られたものである。長らく、その正確な築造…

若江城

若江城址碑 若江城は、畠山基国の命によって遊佐国長(長護)が築いたといい、築城年代としては永徳2年(1382)頃とされるが、一説に応永年間(1394-1428)に掛けての築城ともいう。ただ、基国の没年が応永13年(1406)である為、下限はその年となる。また、大阪府全…

高屋城

高屋城解説板 高屋城は、応永年間(1394-1428)の築城という説もあるが、高屋城の前身という古市城や所在地不明の誉田城との史料上での関連性がはっきりせず、詳しい築城時期は不明という。発掘調査からは、応仁の乱終結直後の文明年間(1469-87)中頃の築城と推…

高槻城

高槻城址碑 高槻城は、伝承では正暦年間(990-95)に地元の豪族近藤忠範が築いたというが、史料上で確認されるのは建武年間(1334-38)後期で、北朝側に立った入江春則が高槻周辺で勢力を拡げ、高槻城を補修して居城したとある。ただ、この頃は居館に近い形式だ…

狭山陣屋

狭山陣屋跡の碑 狭山藩の政庁だった陣屋。 狭山陣屋の周辺には、かつて南北朝時代に池尻城があったようだが、この城は戦国時代には放棄されていたという。また、狭山池の南側には半田城があったらしいのだが、これも詳細は不明で、目ぼしい事跡が見られない…

岸和田城

岸和田城模擬天守 別名千亀利城ともいう。 岸和田城の起こりは、建武元年(1334)に和泉守護となった楠木正成の族党和田高家が当地に代官として赴任し、その治所として築城したことに始まるという。ただし、一次史料からは、岸和田治氏という武将が、その当時…

大坂城

中世の大阪の地は渡辺といい、渡辺党という嵯峨源氏流の武士団がいた。その始祖は渡辺綱で、大江山の鬼退治で有名な摂津源氏源頼光の四天王と呼ばれ、その子孫は水運の権益を保持し、戦国時代まで一帯に勢力を持っていたという。 一方、戦国時代に入った明応…

茨木城

茨木小学校に復元されている茨木城櫓門 茨木城は、建武の新政下で摂津を得た楠木正成が建武年間(1334-36)に築城したと伝わるが、あくまで伝承であり、詳細は不明というのが実情である。その他にも、信長の家臣福富秀勝による築城説や、安富元綱の指揮下にあ…

池田城 (摂津)

池田城跡に建てられた模擬の城門と城址碑 摂津国の有力国人であった、池田氏累代の居城。 池田氏は、景行天皇の裔とされ、相当古くからこの池田の地に根を下ろしていたらしく、文書での初見は、勝尾寺文書に見える弘安7年(1284)の政長という。これは、尾藤時…

芥川城

芥川城址碑 史料上、芥川城として出てくるのは、この城と山側にあった芥川山城の両方であり、どちらを指しているのか、注意して見る必要がある。 芥川城を築城したのは芥川氏で、芥川氏は出自を平氏としているものの、来歴の詳細は不明という。「高槻市史」…