Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

天保山

 現在、広義の天保山という地名は、大阪のウォーターフロントの区画を指す言葉になっているが、その大本となる山は、江戸時代の天保2年(1831)から2年の間に、安治川の川ざらえによって出た土砂を積み上げた人工の山である。当時は標高が20mほどあり、桜や松等の木が植えられ、大坂町民の憩いの場であったようだ。

 このような著名な存在というのもあり、明治44年には三角点が設置されたのだが、その後の地盤沈下や土砂の削り取りによって、後には地図に載る山の中では標高4.53mの日本一低い山となった。しかし、平成26年(2014)に、東日本大震災の際の津波で大きく削られた日和山が標高3mとして地図に掲載され、現在は日本で2番目に低い山となっている。

 区画としての天保山は、大阪のウォーターフロントの中心として、再開発によって海遊館サントリーミュージアム天保山ハーバービレッジ等が周囲にいち早くできた場所で、現在でも、安治川を挟んで北にUSJ、運河を挟んだ南の咲洲インテックス大阪があるなど、ウォーターフロントの中心を成す一角であることに変わりはない。また、西には舞洲夢洲が埋め立てられており、今後の大阪万博でも、その近さから賑わうのだろう。

 天保山エリアは再開発が進み、都市化が発展著しいが、山自体は目立たず、天保山公園に埋まるようにして存在している。ただ、地元の方が山岳会を結成し、登山認定証まで発行しており、小さいながらも地元の方々に愛されている山なのは間違い無いようだ。

 

最終訪問日:1999/11/18

 

 

大阪で天保山と言えば、今はもう完全にエリアとしての名前で、大本となる山の事は意外と知らない人が多いかもしれませんね。

自分も実際に行くまでは、どこにあるか知らなかったですし。

天保山周辺は、明治天皇行幸記念碑があったりと、実は由緒正しい場所なんですね。