Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

狭山池 (狭山池ダム)

狭山池と付近の市街地

 日本最古のダム式貯水池。現在はダム化されているので、正式には狭山池ダムという。

 狭山池は、日本書紀古事記に記述が見られるようにその歴史は古く、古代に南河内の農業用貯水池として造られたものである。長らく、その正確な築造年代は分かっていなかったが、ダム化工事の際に発掘された築造当時の東樋の資材を年輪年代測定したところ、推古天皇24年(616)という結果が出た。これにより推古天皇24年かその数年内に造られたということが判明したのである。

 発掘調査や堤の調査では、当時の築堤の工法が、敷葉工法ということも判明した。この工法は、粘土や砂利を撞き固めたところに枝のついた葉を敷き詰め、更に粘土や砂利で撞き固めるという方法で、水はけを良くし、堤を強化する効果がある。これは、当時では大陸伝来の最新技術であったことから、記紀にあるように、国家的な大プロジェクトとして築造されたことが裏付けられた。ちなみに、池に流出入している西除川東除川の除の意味は、迂回水路のことで、狭山池築造当時の迂回水路がそのまま川として残ったということである。

 土木灌漑設備は、絶え間ない補修や管理が必要で、この狭山池も決壊や地震による被害などが史料に記録されており、その時々の権力者によって幾度と無く改修が施された。有名なのは、朝廷がその動員力を利用した天平3年(731)の行基による改修と天平宝字6年(762)に朝廷が自ら行った改修、建仁2年(1202)の重源による改修、豊臣秀頼の命で片桐且元が行った慶長13年(1608)の慶長の大改修で、近代技術で改修された昭和7年(1932)の大改修とダム化した平成13年(2001)に竣工した平成の大改修を含め、大きく6度の改修があったことになる。

 平成の大改修では、従来の貯水機能だけではなく、洪水調整という治水機能も追加されており、狭山池の歴史の中で、新たな局面に入ったということが言えそうだ。

 均一型アースフィルダムという形式でダム化された現在の狭山池は、ダム化の際に池底を平均3m掘り下げ、更に堤の高さを1m嵩上げしており、堤高18.5m、総貯水容積280万m3、湛水面積36haという巨大なダムとなった。だが、堤を歩くと、ダムという雰囲気はあまりせず、近代的に改修された巨大なため池という感じが強い。これは、普通のダムが山間にあるのに対し、狭山池が市街地や住宅地から近いせいだろうか。

 訪れた時は、風が強く、天気もそれほど良くなかったが、春の気候の良い頃なら、水際はかなり心地よい空間になると思われ、付近に住んでいる人にとっては、ちょうど良い散歩コースやジョギングコースになっているのだろう。

 

最終訪問日:2008/11/19

 

 

大きなダムから市街地が見えるというのは、あまり出会わない景色なので、なんとなく新鮮ですね。

すぐそばの狭山池博物館には、巨大な樋や、そのまま剥ぎ取った過去の堤体が保存展示されていますから、狭山池の迫力を知りたいのなら、とてもお勧めです。