Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

お城

谷村城

小学校の一角に建つ谷村城址碑 一般には、甲斐源氏武田氏の重臣小山田氏が居城とした城とされ、居館形式であったことから、谷村館とも呼ばれる。ただし、小山田氏時代の谷村城は別の場所にあるとし、この城は豊臣政権時代の築城とする説もあるようだ。 小山…

能見城

能見城は、ノウミではなくノウケンと読む。 能見城築城には3つの説があり、そのひとつが穴山氏築城説である。 穴山氏は、甲斐源氏武田氏の5代信武の五男義武が、能見城周辺の逸見郷穴山村を領して地名を称し、穴山氏の祖となったという。しかし、これには異…

躑躅ヶ崎館

戦国時代の武田氏が本拠とした居館。武田氏館ともいう。 武田氏は、清和源氏の本流河内源氏の流れである。永承6年(1051)から始まる前九年の役で活躍した源頼義の三男に新羅三郎義光がおり、その子義清が常陸国那珂郡武田郷を領して武田冠者と呼ばれたことに…

須沢城

須沢城は、武田信玄が治水のために流路を現在の川筋に変えたとの伝承が残る御勅使川の北側にある。この御勅使川は甲斐でも有数の暴れ川で、氾濫による流路の変更が幾度もあり、現流路を含めて5本の流路が確認されているという。また、暴れ川が運ぶ砂礫は扇状…

新府城

新府城本丸に祀られた武田勝頼の廟祠と家臣の霊柱 正式には、新府中韮崎城という。 甲斐を治めた武田信玄の死後、実質的に跡を継いだ子勝頼は、高名な父の名声を打ち消すように、天正2年(1574)に信玄が落とせなかった高天神城を攻略し、武名を轟かせた。しか…

下山城

河内地方を統治した穴山氏の居城。 この下山城の場所には、かつては下山氏の居館があったという。下山氏は、甲斐源氏である加賀美遠光の孫光重を祖とし、光重が建仁年間(1201-04)に下山に入部して地名を称したのに始まるといい、居館も入部時に築かれたもの…

小山城 (甲斐)

小山城の築城時期は不明であるが、宝徳2年(1450)には穴山伊豆守が居城していた。 この伊豆守は、上杉禅秀の乱に加担して討伐された甲斐守護武田信満の弟で有力庶家である穴山氏を継いでいた、満春の子といわれているが、信満の嫡子で従兄弟にあたる信重によ…

甲府城

武田信玄の居城として知られる躑躅ヶ崎館の南、甲府盆地北部の一条小山に築かれた城で、山の名から一条小山城とも呼ばれたほか、甲斐府中城、赤甲城、舞鶴城という別名がある。 城のある一条小山には、古くは武田氏の初代である武田信義の嫡男一条忠頼が居館…

勝山城 (郡内勝山城)

勝山城本丸に建立されている東照宮と僅かに見える本丸の碑 勝山城というのは各地にあるため、郡内勝山城や都留勝山城とも呼ばれる。 鎌倉時代始め頃からこの郡内地方を統治したのは、武蔵国を本貫とする平良文流の坂東八平氏秩父党の小山田氏であった。 小山…

岩殿山城

武田家臣小山田氏の詰城。岩殿城ともいう。 岩殿山の歴史は、平安時代の9世紀末頃に始まり、この巨大な岩山に天台宗の岩殿山円通寺が開かれ、やがて門前町を形成するほど栄えた。天台宗や真言宗は中国の山岳仏教の系譜を継いでいるため、古来の山岳信仰と習…

南熊井城

南熊井城の表示と解説 田川の河岸段丘に築かれた崖城。 南熊井城の事跡は、僅かしか見られない。城の位置関係から見て、東の北熊井城の支城として運用されたことは想像に難くない城だが、「片丘村誌」には、嘉吉2年(1442)に大和織部正の熊野井館として登場し…

松本城

言わずと知れた国宝5城の内のひとつ。 深志郷を領していた坂西氏の、1町四方程度の居館の上に、永正元年(1504)に小笠原氏の一族、島立貞永が築城した城で、小笠原氏の本拠である林野城の支城として築かれ、深志城と呼ばれていた。以後、大永年間(1521-28)に…

福与城

福与城解説板 藤沢氏が居城とした城。 福与城主だった藤沢氏の出自には、2つの説がある。ひとつは諏訪神氏流とする説で、諏訪大社上社大祝の諏訪氏の庶流千野光親の子親貞が、高遠北方の藤沢を領して地名を称したことに始まるという。親貞の子清親は、鎌倉幕…

平賀城

平賀城遠景 平賀の地は、新羅三郎義光の四男盛義が、平賀郷を本拠として平賀冠者と呼ばれたため、平賀氏の本貫地となった。 平賀城は、築城年代は不明ながら、その盛義の子義信によって築かれたという伝承を持つ。 義信は、前述のように河内源氏の嫡流に近い…

妻籠城

妻籠城登山口と城址碑 妻籠城の築城者や築城の時期ははっきり判っていないが、伝承では、木曾義仲が上洛する際に築いたとも、足利尊氏に仕えた木曾家村が築いたとも伝えられている。 城は、室町時代にはすでにあったとされていることから、実際のところは、…

龍岡城

幕末に築かれた西洋式の星形要塞は、函館の五稜郭が有名であるが、日本にはもうひとつの五稜郭があり、それがこの龍岡城である。別名として、龍岡五稜郭とも呼ぶ。 龍岡城が築かれたのは、その形状から解るように、幕末である。 当時の田野口一帯の領主は、…

高遠城

築城された年や築城者は諸説あってはっきりしないが、代々居城としていた高遠氏が築城したとみるのが妥当なところだろう。 高遠氏は、木曾氏の支族との説もあるが、末期の継宗や頼継が諏訪氏を名乗っていることから、諏訪一族という説に説得力がある。 諏訪…

高島城

高島城復興天守 諏訪地方に高島城と名の付く城は戦国時代にもあったが、それは現在の高島城の北東1kmほどの場所にあった城で、茶臼山に在ったことから茶臼山城とも呼ばれる別の城である。 現在の高島城は、徳川家臣となった諏訪頼忠が家康と共に関東へ移った…

真田本城

現地には真田氏本城とあるが、別に松尾城とも呼ばれ、上田城築城以前の真田氏の本拠城に推定されている。ただし、史実や遺構などで、本拠城が裏付けられているわけではない。 この城を築城したのは、真田幸隆(幸綱)とされていたが、発掘調査によって、鎌倉時…

小諸城

千曲川の断崖上にある崖城。 川沿いの断崖に築かれた城は、一般的に平坦な地形に築かれる場合が多く、城や城下町は、平城のように同程度の高さというのが多いのだが、同じく崖際に築かれた小諸城は、崖から離れた場所にある城下町よりも城内が低い穴城となっ…

桑原城

桑原城は、南東2kmにある諏訪氏の本拠上原城の支城だが、上原城を焼き払って桑原城に撤退したという諏訪頼重の最後の行動から、一説に桑原城がその頃の本城であったともいう。高鳥屋城とも呼ばれ、戦国大名としての諏訪氏が実質的に滅んだ際の城でもある。 …

北熊井城

築城時期は不明だが、信濃守護小笠原氏の本拠であった松本平の南東端を抑える城として、一説にはその家臣村井氏が築いたと推測されている。また、別の説として、永正年間(1504-21)に熊井氏が築城したとも、嘉吉2年(1442)に大和織部正が築いたともいう。 村井…

春日城

春日城本丸 春日城の沿革 平氏の末流粟田口重吉の16代の孫と称する春日重慶が、天文3年(1534)に3百貫の領地を得てこの地に築城したのが城の始まりで、春日の姓から春日城と呼ばれたが、重慶は後に伊那部姓を名乗ったことから、伊那部城とも呼ばれる。 当時、…

海津城 (松代城)

海津城城址碑 海津城二ノ丸から本丸の戌亥櫓台と北不明門 戦国時代は海津城と呼ばれ、江戸時代は川中島城や松代城と呼ばれた平城。城の前身としては、清野氏の居城があった。 清野氏は、村上氏の一族、つまり信濃源氏の裔といわれ、宗家にあたる村上氏に属し…

大井城

一時は佐久郡の大半を支配した、岩村田大井氏の居城。岩村田館とも呼ぶ。 大井氏は、小笠原氏の庶流で、佐久郡大井荘を本貫として勢力を拡げた豪族だが、大井荘の開発領主ではなく、承久3年(1221)の承久の乱の功で新たに入部した新補地頭である。その入部の…

海ノ口城

若き日の武田信玄(晴信)が、初陣で武功を挙げた城として有名な山城で、鳥井峠を扼すことから、別名を鳥井城ともいい、海野口城と書かれることもある。ちなみに、現在はウミノクチと読むが、往時はウンノクチと呼んでいた。 現地の碑には、文安・宝徳年間(144…

海尻城

佐久郡南部の豪族である伴野氏の家臣、井出長門守が築いたと伝わるが、築城時期は不明である。もともとは、南の甲信国境に対する監視連絡拠点として築かれたのだろう。 伴野氏は、戦国時代には、同じ小笠原氏の庶流であった大井氏と、佐久郡の支配権を争って…

内山城 (信濃)

傾いていた内山城本丸の城址碑 永正年間(1504-21)に、大井玄岑が築城したいわれる山城。ただし、玄岑が築城したのは、内山城から尾根筋を伝った東にある内山古城ともいい、これが本当であれば、後に一帯を支配した武田氏による築城の可能性が高くなる。 大井…

上原城

上原城入口にある城址碑 諏訪大社上社大祝であった諏訪氏の居城。 古代より続く諏訪氏の出自には、複数の説がある。古事記には、大国主命の国譲りの際に、その子建御名方神が敗れて科野(シナノ)の州羽(スワ)の海に落ち延びて助命されたとあり、諏訪氏はこの…

上ノ平城

上ノ平城は、平安時代末期に伊那馬大夫と称した、源為公によって築城されたと伝わる。 為公は、清和源氏の主流である源経基の流れで、経基の五男満快を祖とする家に生まれ、この家は、主に東国の官職を歴任していた。為公の父為満は、同じ経基流の中でも最も…