「二十四の瞳」の原作者である、壺井栄に関する資料を展示している施設で、二十四の瞳映画村内にある。平成4年(1992)6月の開館。
壺井栄は、小豆島出身の小説家で、岩井藤吉の五女として明治32年(1899)8月5日に生まれ、26歳の時に同郷の詩人壺井繁治を頼って上京し、繁治と結婚した。
小説家としての活動は、上京後、かなり経ってからで、繁治や黒島伝治の影響を受けて昭和13年(1938)に処女作とされる「大根の葉」を発表するのだが、それ以前にもエッセイである「プロ文士の妻の日記」や、短編作品の「崖下の家」という作品が、雑誌に掲載されている。デビュー後は、戦中、戦後に掛けて約300もの作品を執筆し、芸術選奨文部大臣賞を始めとした多くの賞を受賞した。
有名な「二十四の瞳」は、昭和27年(1952)に「ニューエイジ」という雑誌に掲載された作品で、2年後には映画化され、大ヒットしている。栄の作品の主題として根底に流れる反戦文学の名作であり、その後も映画化やドラマ化で、幾度と無く映像作品となったことから、そのどれかを見たという人も多いだろう。
晩年の栄は、喘息患って軽井沢で静養する事が多くなり、昭和42年(1967)6月6日に小豆島町名誉町民に選ばれた直後の6月23日に死去した。享年67。
この壺井栄文学館は、小豆島で生活していた時代の栄の様子から、上京後の結婚生活の様子、そして小説家時代の作品などがブースを分けて展示してあり、繁治と暮らした東京の住まいの再現展示や、栄が影響を受けた繁治や黒島伝治についての解説もあった。また、二十四の瞳の生原稿など、非常に貴重なものも展示されており、それらは一見の価値がある。
この文学館がある二十四の瞳映画村は、昭和62年(1987)の2度目の映画化がされた時のオープンセットで、村内は昭和初期頃の小豆島の雰囲気が色濃く残った情景となっていた。この観光地特有の、ゆったりとした喧騒の中にありながらも、文学館の中は非常に落ち着いた雰囲気でまとめられており、落ち着いて壺井栄の生きた時代を考えることができる。
最終訪問日:2008/8/23
栄の生きた時代に、リアルタイムで作品を読んでいた世代ではないですが、何度なく二十四の瞳の映像作品は見ましたね。
子供の頃にも見ましたし、大人になってからも見ましたが、大人になってから見ると、視点の違いから色々と深く感じるものがある作品でした。