Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

大仙陵古墳 (仁徳天皇陵古墳)

大仙陵古墳の遠景

 第16代天皇仁徳天皇の陵墓に比定されている古墳で、日本最大の前方後円墳として有名。

 5世紀前半から中頃の築造とされ、宮内庁では百舌鳥耳原中陵、考古学的には大仙陵古墳というのが正式名称である。かつては、仁徳天皇陵仁徳天皇陵古墳というのが一般に呼ばれる名前であったが、仁徳天皇の子である履中天皇の陵墓の方が考古学的に古いということが判明したため、仁徳天皇陵というのが必ずしも正しいとは言えなくなり、大仙陵古墳が正式名称となった。

 ただ、宮内庁としては、仁徳天皇の陵墓という見解を変えていないため、間違いというわけでもないというところはややこしい。発掘調査が制限されているため、埋葬人物が誰であるか確定できていない状態であり、宮内庁的な見方でも、伝仁徳天皇陵とするほうが正確な表現かと思われる。

 仁徳天皇は、神功皇后摂政57年(257)に生まれ、仁徳天皇元年(313)から仁徳天皇87年(399)まで在位したと記紀に記されている天皇だが、実在の人物かどうかは不明という。一説には、父である応神天皇の功績を2つに分けた為に挿入された人物とも、2人の天皇の事跡が合わせられたものともいわれる。

 その一方で、中国の史書に出てくる倭の五王の賛や珍に比定する説もあり、未だ定説が導き出されていない。仁徳陵の考古学的調査が進展すれば、結論に一歩近付くと思われるのだが、宮内庁はあくまで墓というスタンスを崩しておらず、調査はなかなか難しいようだ。

仁徳天皇陵こと大仙陵古墳の説明板

 大仙陵古墳は、日本最大の前方後円墳だが、敷地面積で見ると、世界の他の陵墓に匹敵するほど大きく、世界三大墳墓に数えられるほどの世界最大級の陵墓である。現地案内板の数字と堺市の資料の数字に若干の違いがあるのだが、堺市の資料の数字で言えば、墳長486m、前方部の長さ237m、幅305m、高さ33m、後円部の直径249m、高さ35mで、3重の周濠を含めた大きさでは最大長840m、最大幅654m、周囲2718mという巨大さだ。

 古墳には、葺石が敷かれた3段の段丘があり、方形と円形の間のくびれには、造出しと呼ばれる張り出し部分が設けられ、武人や馬を象った埴輪や呪術的な意味合いがあるという円筒形の埴輪が、合わせて2万個以上も墳丘に置かれていたという。また、仁徳陵周辺には、消滅したものや古墳かどうか怪しいものを含めて19の陪塚が確認されており、16基が現存し、宮内庁が陪塚と指定したものは12基存在する。

 古墳の造成以降、朝廷が勢力を失ってからは管理が疎かであったようで、江戸時代にはすでに埋葬施設部分が盗掘に遭っていたようだ。しかし、江戸時代の尊王思想の興隆によって、歴代天皇の陵墓に関する保護策が進められ、この仁徳天皇陵も幾度か補修されている。そして、明治維新以後は国が国策として管理し、現在のように考古学的調査が許されなくなった。

 天皇家の祖先の墓と考えると、発掘調査が許可できないのも理解できるのだが、本当に先祖だったのかという疑問への回答や、古代史の進展の為にも、もう少し柔軟に対応してくれたらとは思う。ただ、近年は宮内庁にも規制を緩めつつあるように感じられるので、今後には期待したい。

 

最終訪問日:2008/11/19

 

 

現地に行くと解りますが、大きすぎて、もはや丘陵ですね。

当たり前と言えば当たり前ですが、他の古墳同様、現在は木が繁茂しているので、近付けるだけ近付いても、全容はよく掴めません。

その大きさだけが印象に強く残ります。