Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

吉備津神社

特徴的な吉備津神社の本殿

 備中国一ノ宮である神社。

 主祭神は、古代の崇神天皇の治世に各地へ送られた4人の将軍のひとりで、桃太郎のモデルともいわれる大吉備津彦命であり、その一族である8柱が配祭。2柱が合祀されている。また、三社宮や若山宮など、摂末社の数も多い。

 備前、備中、備後がまだ吉備国としてひとつだった頃、吉備津神社はその一ノ宮であったといい、3国に分かれた際に備前と備後には分霊が祀られ、吉備津神社は備中の一ノ宮となった。このため、吉備津神社では吉備総鎮守や三備一宮とも称している。また、延喜式にある名神大社のひとつであり、現在は神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつで、社格は非常に高い。

吉備津神社説明板

 記紀によれば、大吉備津彦命畿内から山陽道を下り、吉備で暴れていた温羅を誅し、後には吉備国の統治にあたって平和と秩序をもたらしたという。また、この時の話がおとぎ話となり、吉備津彦命が桃太郎のモデルになったという話も有名である。ただし、岡山が一番有名ではあるが、桃太郎伝説は岐阜にも香川にもあり、必ずしもこの地が物語の起源であるとは言えないようだ。

 この吉備津神社には、吉備津彦命による温羅退治に由来する、一風変わった鳴釜神事というのが伝わっている。その由来とは、温羅を討った後もその首は大声で唸ることをやめなかったが、温羅の霊が告げたように、神社の釜の下に埋められた首に対して阿曽媛が米を炊いたところ、唸りは収まったという。これ以降、吉凶の占いを釜の唸りで占うようになった。これが鳴釜神事である。

神社南側の長い廻廊

 神社の創建は、古代からの伝承という深い海の中を探すようで詳しいことはよくわからないのだが、吉備津彦命の子孫加夜臣奈留美命が祖神を祀ったのが最初とも、吉備津彦命の異母弟若日子建吉備津彦命の子孫が祖神を祀ったのが最初とも、また、仁徳天皇がこの地に行幸した際に吉備津彦命の功績を称えて社殿を創建したのが最初ともいう。ただ、いずれにしても記紀時代の話で、史実がどうなのかは想像するよりほかない。

 この吉備津神社には、今でも参詣する人が多いようで、訪れた日には露店が出るなどして賑わいを見せており、大変大きな神社という印象を受けた。国道から続く参道を抜け、神社本殿へと向かうと荘厳な社殿が見えるが、2つ並ぶ千鳥破風が非常に印象的である。これは全国唯一の様式らしく、この本殿と拝殿は国宝に指定されており、さすがは備中の一ノ宮のみならず、三備の一ノ宮を名乗るだけはあるという感じだ。また、吉備津彦命が葬られているという中山茶臼山古墳の方向には、陰影が印象的な長い回廊などもあり、全体的に深い歴史を感じさせる神社だった。

 

最終訪問日:2011/10/22

 

 

国道180号線から続く松並木の長い参道、独特の社殿、長い回廊。

境内全体に重厚な厳かさが漂っています。

近く通ると、お参りしておきたくなる神社ですね。