Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

金精道路

 栃木県の日光湯元付近から群馬県の菅沼付近を結び、県境にある金精峠の真下を通る道路で、単に金精峠と呼ばれることもある。道路としては、昭和40年(1965)10月7日に開通し、平成7年(1995)10月7日に無料開放された。全長8.14km。

 日光は、元は修行の場として開かれた場所で、金精峠も、日光の修行者が峰修行する際に使われた道だったという。その名残として、金精神社が峠に鎮座しており、江戸時代には金精神社や金精山、そして白根山へ参拝するルートでもあった。

 近代に入ると、明治5年(1872)に群馬県側の出資によって峠越えの約18kmの道路が開削され、この道は日光道と呼ばれたが、いつの頃からか金精道路という呼び名も使われるようになったようだ。

 ただ、この道は、正に峠越えの道で、今も旧道として残ってはいるが、2244mの金精山と2333mの温泉ヶ岳という2つの高山の鞍部を通るということもあり、標高が2000m超えの相当な険路である。

 さらに時代が下り、自動車による大量輸送時代を迎えると、金精峠もそれに対応すべく、新たな道路の建設が検討されるようになった。そして、金精峠のほぼ真下をトンネルで抜ける形で建設されたのが、現在の金精道路である。

 峠のほぼ真下をトンネルで抜ける形にしたとは言え、標高は1840mもあり、国道の中では3蕃目の高所という。従って、建設費用も高所の難工事であるために膨らみ、30年の料金徴収では償還できなかった。また、高所故の積雪で、現在は冬季の約5ヶ月間は通行止めとなっており、稼動していない。

 ちなみに、国道120号線の沼田から日光にかけての部分は、日本ロマンチック街道の一部であり、金精道路もそれに含まれている。

 日光から群馬へ金精道路を抜けたのは、5月の連休明けの夕刻だったが、想像を超える寒さで、トンネル入口付近の気温は確実に5℃を下回っていただろう。栃木県側では、残雪たっぷりの山肌が間近に迫り、群馬県側では、菅沼の湖面がまだ半分ほど氷で覆われているのが見え、道路の両脇に残雪が普通に積もっている状態だった。さすがは日本有数の標高を持つ道である。

 

最終訪問日:2014/5/10

 

 

とにかく寒かったですが、通常ではバイクで走ろうとも思わない景色の中を走ることができたのは新鮮で、氷や雪という、バイクとは縁遠い存在の中をあえてバイクで走ることは、普段とはまた別の魅力がありますね。

山を下ってしまえば暖かくなるという気楽さもあって、寒さによる指先のジンジンした痛みを感じつつも、こういう雪景色を愉しむワインディングもまた一興です。