Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

五稜郭

 日本において、本格的な西洋式城郭として構築された城で、亀田御役所土塁や柳野城とも呼ぶ。西洋式城郭や稜堡式城郭、あるいは星形要塞とも呼ばれる城郭形式は、長野県にある龍岡城と合わせ、日本に2つだけである。

 五稜郭が築城された理由は、日米和親条約による箱館開港に伴って北辺防備の必要性が高まったためで、安政4年(1857)に工事が開始され、元治元年(1864)に主な部分が竣工し、付帯工事も含めて慶応2年(1866)に完工した。城の縄張を担当したのは武田斐三郎で、フランス軍人の影響を受けて西洋式城郭を採用したという。

 この西洋式城郭の特徴として、近距離攻撃に対しては、突き出させた複数の稜堡に砲台を据えて、砲撃の死角を減らすとともに十字砲火を可能とし、遠距離攻撃に対しては、突出している砲台の射程外に敵軍前線を下げることで、敵軍と城内施設の距離を取らせて守るという思想にあった。

 これは、火器の発展による砲撃戦が多かった西洋での一般的な防衛思想で、五稜郭には1つしか造られなかったが、火力の増強と砲撃の死角減少のために、稜堡と稜堡の間にもさらに馬出のような半月堡を構築し、星型を2つ重ねたような形が最終形態となる。

五稜郭の入口にある城址

 このような防衛思想は、それまでの日本式城郭とは大きく異なっているが、これは、戦国時代の終焉と共に火器類の発展が止まった日本と異なり、欧米では頻発する戦争によって火器が進化し続け、大砲に狙われやすい示威的な建物は、軍事施設から姿を消して宮殿という形で独立し、城は砲撃を受けにくい地べたを這うような要塞へと変化したためであった。つまり五稜郭は、権威的要素を含んでいたそれまでの城ではなく、純粋な要塞として構築されたのである。

 しかし、この五稜郭には致命的な欠陥があった。五稜郭が戦闘に使用されたのは、外国に対してではなく、榎本武揚率いる旧幕府軍と新政府軍の戦いにおいてだが、函館港からの距離を考慮したはずの城地選定に不備があり、この頃の貧弱な艦砲でも、砲弾が五稜郭まで届いてしまったのである。つまり、立地が海に近すぎたのだった。

 また、訪れた時には見かけなかったが、五稜郭の石垣は排水処理が十分でなく、石垣の真ん中辺りが膨らんでしまうという、構築技術の不備もあったようだ。

かつては砲台の役割があった五稜郭の稜堡内部

 この辺りが、現場を経験していない学者であった武田斐三郎の限界と言えるのかもしれないが、当時は泰平から目覚めたばかりであり、日本の知識階級に実戦を経験したものが皆無であったということを考えれば、それを武田斐三郎個人の資質に帰するのは酷な話だろう。

 五稜郭が築かれた後、幕府は元治元年の6月から箱館奉行所五稜郭へと移し、2年後の大政奉還後には、維新政府が引き継いで箱館府を開いたが、半年後に北へと転戦してきた榎本武揚率いる旧幕府軍の侵攻によって新政府軍は撤退し、明治元年(1868)10月26日に旧幕府軍五稜郭を占拠した。

 武揚は、蝦夷共和国を建国してその本拠地とし、五稜郭も翌年の春に掛けて改修されたが、直後の函館戦争に敗れて同2年(1869)5月18日に降伏しており、この降伏までの、僅か5年ほどが五稜郭の機能した時代となる。

 これ以降、北海道には開拓使が置かれ、その中枢機能は札幌へと移動し、函館は次第に北海道の中心ではなくなって行くのだが、五稜郭でも、明治4年(1871)からは城内の建物類が資材転用のために撤去された。つまり、五稜郭の機能した時代が、そのまま函館が北海道の中心であった時代と言えるだろうか。

五稜郭の郭内に通じる門と土塁

 その後の五稜郭は、陸軍省の管轄地として練兵場として使われ、大正3年(1914)からは函館区に貸与されて公園となったのだが、この公園化の際に、記念として桜が植樹され、現在も桜の名所として有名である。また、昭和27年(1952)に特別史跡に指定され、現在は函館奉行所が復元されているようだ。

 現地を訪れてみると、五稜郭の外部は観光地化されて店などが並んでいたが、五稜郭自体は保存状態もよく、変に観光施設などもないため、ゆっくりと散策ができる場所となっている。

 訪れた時は夏であったため、写真で紹介されているような、冬の凛とした雰囲気はなかったが、堀にはボートが浮かぶなど、観光客が多く訪れる観光地となっており、緑も多く、良い雰囲気の公園という感じだった。また、堀の土手には舞台があり、ここで市民創作の野外劇が上演されるなど、観光客にも市民にも親しまれている空間となっているようだ。この辺りは、形式が和であろうが洋であろうが、他の市街地にある城跡と使われ方は違わないのだろう。

 

最終訪問日:2003/7/27

 

 

形を間近に見たかったですが、バタバタして五稜郭タワーには登れませんでした。

タワー内部には入ったんですが、ツアー客に巻き込まれたのか、めっちゃ並んでいてびっくり。

昭和時代に建てられた各地のタワーが廃されて行く中、五稜郭タワーは建て直されたらしいので、来場客も多いんでしょうね。

次に行くことがあったら、新しくなった五稜郭タワーに絶対登るつもりです笑