常陸の泉城は、事績は明確に判っていないが、頼朝に重く用いられた常陸守護八田知家の四男家政の系統という、宍戸氏の城であったようだ。
宍戸氏は、笠間市にあった小鶴荘(宍戸荘)を支配して名字とし、嫡流にあたる小田氏に代わって守護を務めた時代があるなど、常陸においては大きな力を持った一族であった。南北朝時代には、当初は後醍醐天皇に味方し、後には尊氏に従ったようで、南朝に与した嫡流の小田氏を尻目に勢力を拡大させたという。
泉城の事績として見えるのは、嘉吉元年(1441)の結城の合戦の直後で、「筑波潤朝軍忠状」によると、結城氏に与した宍戸持里が、潤朝の手勢と共に泉城に籠城し、上杉家臣長尾忠之によって陥落したとある。ただ、持里自体は山尾城に居していたという話もあり、宍戸氏の本拠であったかどうかは、よく分らない。
以降の宍戸氏は、この時の敗北も影響したのか、惣領の小田氏を上回るほどの勢力を持つでもなく、小田氏の勢力回復や、近隣の江戸氏の勢力拡大などがあり、戦国大名化できないまま時間が過ぎ、やがて強大化した佐竹氏に従うようになった。そして、戦国時代末期には、明確に佐竹家臣となり、佐竹氏の秋田転封に従っている。
泉城については、前述の持里の事績が唯一のものだが、鐘転山にも遺構があるといい、それらを一体としてひとつの城郭とするのか、また、別の城郭として運用されていたのか、実態はよく判っていない。
城を訪れた時は、地図に泉城と表示されていた周辺を夕闇が迫る中を捜したが、見つからなかった。後で調べたところによると、鐘転山の周辺や、その山腹の無線中継所辺りがそうらしく、比較的広い平坦地もあるようだ。
最終訪問日:2001/9/28
地図を眺めていて見つけたお城ですが、辿り着くことができませんでしたね。
足を伸ばして愛宕山やスカイロッジ周辺まで走ってみたんですが、城を示す表示は見つけられず、陽が落ちてしまう時間でもあったので、探索を諦めました。
いつかリベンジする機会があればいいんですけど、遠いです・・・