大雪山や十勝岳から続き、十勝と日高を隔てる日高山脈の山塊が太平洋へ落ち込む場所で、先端が60mもの断崖になっている岬。岬のほぼ中央に建つ襟裳岬灯台は、北緯41度55分33秒、東経143度14分38秒の経緯度の位置にあるが、岬の突端は、灯台からさらに400mほど南東である。
襟裳岬の語源は、アイヌ語で大きな岬を意味するオンネンルムといわれるが、鼠を意味するエルムンなど、諸説あるという。
岬の景観としては、前述のように日高山脈がそのまま海へと断続的に続いており、波濤の浸食に晒された数段の海岸段丘による断崖と、沖合に点々と続く岩礁が非常に印象的で、自然の荒々しさをそのまま実感できる。
また、風速10m/s以上の日が年間270日以上もあるという襟裳岬は、暖流と寒流がぶつかる場所で、霧の名所でもあるという。そのため、襟裳岬灯台は非常に重要で、明治22年(1889)6月25日に初点灯され、同27年(1894)には霧笛が設置されている。訪れた当時も、すでに珍しくなった有人灯台として運営されており、霧の出た日には大音量で霧笛を鳴らすという運用がされていた。ただし、平成17年(2005)に霧信号所の廃止と無人化がされている。

岬の先には、雄大な太平洋の眺望が広がっているが、岬の沖合は一級品の昆布が獲れる場所でもある。岬周辺には草原が広がって樹木が少なく、やや荒涼とした感じがするが、昭和初期には砂漠化が進行し、土砂の流出で昆布の品質が著しく劣化したという。
この原因は、襟裳岬の森林が薪として切り出されたあと、強風と濃霧が多発する厳しい環境によって植生が再生しなかったためで、森林を復活させるためには人の手が必要であり、影響を大きく受けた漁師たちが再生に乗り出した。試行錯誤の末、ようやく現在のように草原が見られるまでに回復し、土砂流入の減少によって昆布の品質も安定したという。つまり、このやや荒涼とした草原と防風林の景色は、厳しい環境を表すものであると同時に、緑が戻ったという再生を表すものでもある。
襟裳岬の知名度が向上したのは、歌謡曲による影響が大きい。森進一と島倉千代子がそれぞれ襟裳岬を歌っており、岬には歌碑も建てられているが、森進一が歌う襟裳岬には何もないという意味の歌詞があり、当初、地元は好意的でなかったという。今ではそういう感情はないらしいのだが、現地には、やはり風力発電設備が目立つだけで、これといったものが無いのも事実だろうか。

ただ、歌謡曲の影響かどうかは別として、現在の襟裳岬は、岬自体が立派な観光地として多くの人が訪れるスポットになっており、自分が訪れた時もライダーやツアーバスをはじめとした車で駐車場がほとんど埋まっていた。何もない場所が、自然を感じられる場所として評価される時代になったと言えるのだろう。
岬の展望台から沖合を眺めると、山塊が断崖によって余韻も無く落ち込んでいるのではなく、山脈の名残が沖合まで続き、7kmに渡って延々と岩礁として頭を突き出している姿が非常に印象的だ。現在は、そこに野生のゼニガタアザラシが住みつき、日本で野生のアザラシが見られる最南端の地となっているほか、年によってはラッコも姿を見せるといい、それも観光資源となっている。
最終訪問日:2003/7/26
風の名所というだけあって、訪れた時も常時強風が吹いていました。
自分が経験した中では、寒波到来時の竜飛崎で強風に煽られのが一番大変だったんですが、この襟裳岬も、もしバイクだったらかなり厳しそうでしたね。
車で訪れた場所でも、大抵はバイクでまた来ようと思うんですが、ここは車で来て良かったと素直に思いました笑