
いわゆる別表神社のひとつ。二荒山と書いて、一般にはフタアラヤマやフタラサンと読まれるが、日光の二荒山神社はフタラサンと読む。
二荒山神社というのは、この日光以外では宇都宮にもあるため、区別して日光二荒山神社ともいい、古くは北西の滝尾神社と南東の本宮神社を合わせて日光三社権現とも呼んだ。また、下野国一宮とされるが、延喜式に二荒山神社とのみあるため、宇都宮か日光かで議論がある。
日光は、男体山などが古くから自然崇拝の対象となる山であったが、霊場としての日光は、勝道上人が、天平神護2年(766)に紫雲立寺を創建したことによって始まり、二荒山神社自体は、翌神護慶雲元年(767)に、二荒山(男体山)の神を祀る祠を建てたことが最初という。
勝道上人は下野の人で、若くして山岳修行を行った人物であった。その修行の場として選んだ日光だが、日光連山では古代の祭祀の痕跡も発見されているように、前述のようにかなり古くから信仰対象であったことが裏付けられており、紫雲立寺創建の翌年に早くも祠を建てているということは、古代から二荒山が神聖な神の山として崇拝されていた事を、勝道上人も地元の人間として当然のように知っていたのだろう。このように、日光は山岳仏教、修験道、そして古代の自然崇拝が濃密に習合した霊場であった。
二荒山神社の祭神は、日光三山を御神体とし、男体山を大国主命である大己貴命、女峰山を田心姫命、太郎山を味耜高彦根命として、この3柱を祀っている。3柱は総称して二荒山大神と呼ばれており、古代の日光連山の自然崇拝から、やがて男神、女神、子神として分かれ、さらにそれぞれに神話の神が当てはめられたものだろうか。

ちなみに、二荒山については、仏教の補陀洛(フダラク)山が由来という説、アイヌ語が由来という説など、諸説あるのだが、有力とされるほどの説は無いようだ。
神社創建当初は、現在の本宮神社の位置にあったとされ、嘉祥3年(850)に現在地付近に遷座し、さらに日光東照宮建立に伴って現在の場所へ移り、合わせて社殿なども一新された。現在の本社社殿はこの時に造営されたものである。
また、本社の他に、中禅寺湖畔に延暦3年(784)建立の中宮祠を、男体山山頂に天応2年(784)建立の奥宮を持ち、いろは坂や日光連山をも含む境内地は広大で、3400haに及ぶ。
隣の日光東照宮と比べられがちで、地味な印象はある神社だが、華美な東照宮と対照的に静かに鎮まる様は、神社らしく落ち着きがあって良かった。また、参道や杜の木々が立派で、歴史の積み重なりを感じることができる。
平成11年(1999)に日光の社寺として世界遺産に登録された事もあり、観光客は多かったのだが、外国人はともかく、女性の観光客が割と多かったのが意外だった。どうやら、パワースポットや縁結びの神としてよく紹介されているらしい。深い木立の中に凛と鎮座する社殿を見ると、確かに、何らかの力を持っているというのも説得力があるように感じられた。
最終訪問日:2014/5/10
神社仏閣に若い女性の姿は多くないというイメージがあったんですが、ちょっとイメージが変わりました。
世の中に恋愛の神様や縁結びの神様が増えすぎな気もしますが、新しい層が神社仏閣に興味を持ってくれるのは、全体としてはいいことですね。