Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

美保神社

特徴的な美保神社の拝殿

 境水道の北側、日本海に東へ突き出した島根半島のほぼ突端にある神社で、別表神社のひとつ。

 主祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメのミコト)と事代主神(コトシロヌシノカミ)の2柱で、共に大国主にゆかりがあり、三穂津姫命は大国主の后神、事代主神大国主の子神である。ただし、事代主神は、大国主神屋楯比売の子であり、2柱に親子関係は無い。

 美保神社の創建年代は不明だが、それ以前の祭祀で使われたと見られる遺物が発掘されており、少なくとも、4世紀には祭祀の場となっていたようだ。

 文献資料としては、奈良時代に成立した「出雲国風土記」に記されているほど古い神社であるが、記されている祭神は御穂須須美命で、いつの頃からか、現在の2柱を祀るようになったようだ。これは、記紀神話の影響によるものという。また、やや時代が下った平安時代の成立である「延喜式」にも存在が確認できる式内社であり、「延喜式」では小社に列している。

比翼大社造の美保神社本殿

 祭神の1柱である事代主神は、七福神でも有名なえびす様とされており、美保神社では、全国のえびす様の総本宮と称しているようだ。ただし、事代主神とえびすは習合の結果、同一視されるようになったと考えられることから、厳密には、事代主神を祀る神社の総本宮ということになる。

 美保神社の本殿は、1つの基礎に2棟の本殿が連結して建っているという特殊な構造で、美保造や比翼大社造と呼ばれているという。この構造は、創建初期の頃からのものではなく、戦国時代の頃からこの構造になったと見られている。

 美保神社を訪れてみると、眼前に西廻り航路のひとつである美保関の湊として栄えた入江が控え、江戸時代には商売繁盛の神社として、あるいは音曲を司る神社として、船員や船主に大いに崇拝されていたのだろう。また、出雲大社美保神社の両社にお参りする両参りが江戸時代に盛行し、その参拝客でも賑わったようだ。

 昭和3年(1928)に修理された重要文化財の本殿と、その時に造営された巨大な拝殿は、それぞれが独特で、他の神社とは違った雰囲気を持っている。また、参拝の道であった青石畳通りを始めとする周囲の雰囲気も程よく寂び、雰囲気のある一角となっていた。

重厚な美保神社神門

 

最終訪問日:2022/5/22

 

 

訪れた時は、ちょうど拝殿で神職による雅楽の演奏が行われていて、非常にラッキーでしたね。

婚礼や大祭でもないのに、なぜ演奏されていたかというと、動画撮影をされていたんです。

由緒ある神社でも、なんだかんだ今風やなと、妙に感心しました笑