Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

三保の松原

 富士山の風景で有名な景勝地。国指定の名勝であり、富士山と共にその構成要素として世界文化遺産に登録されている。ちみなに、一般に三保の松原と表記されるが、公式には三保松原と書く。

 三保の松原のある三保半島は、地図で見るとよく解るが、北海道の野付半島と同じく非常に綺麗な形をした砂嘴で、正確に言えば両者共に先が幾つかに分かれた分岐砂嘴である。

 その元となる砂礫は、かつては別々だった安倍川と藁科川が運ぶ土砂と、日本平のある有度山の南麓を波が洗うことによって供給されていた。しかし、近年の砂防工事などで河川から供給される土砂が減ったため、海浜の縮減が常に懸念されているという。

三保の松原と霞む富士山

 三保半島は、太平洋に面していることから、激しい風雨に晒されることで広葉樹は根付かず、痩せた土地で風浪にも耐え得る松のみが残った結果、松林が形成された。

 江戸時代頃の絵図を見ると、半島全体が松林として描かれていることから、当時は松が半島全体を覆っていたことが窺えるが、これは御穂神社境内の禁足地だったという理由もあったようだ。しかし、明治以降は周辺の開発や松根油の採取によって当時の10万本前後という数から漸減し、現在では約3万本程度にまで減ってしまっているという。

 三保の松原には、羽衣の松という木があり、その名の通り羽衣伝説がある。

 伝説の内容は、地上に遊びに来た天女が松に羽衣を掛け、通りかがった漁師が羽衣を持ち帰ろうとすると、天女が返すよう願うという、各地の羽衣伝説と違いはないのだが、三保の羽衣の松は御穂神社の御神体になっているという所が、やや特徴的だろうか。

三保の松原にある三代目天女の松

 羽衣の松は、かつて松原全体を境内としていた御穂神社の祭神である大己貴命三穂津姫命の依代になるとされ、そこから神社までの松並木を神様が神社まで通る道として、神の道と呼んでいる。このように大きな社を持つ神社にまで天女伝説が昇華されたのは、源流として海や砂嘴に対する素朴な土俗信仰があったものと思われ、時代を経て伝説や神社という形になったのだろう。

 ちなみに、初代の天女の松は宝永4年(1707)の富士山の宝永大噴火で沈み、2代目は平成22年に立ち枯れてしまい、現在は3代目の松となっている。

 

最終訪問日:2016/5/22

 

 

訪れたのが春の早朝だったためか、富士山は霞んで僅かにシルエットを覗かせるだけでしたが、それでも長大な海岸線に緑の帯として茂る松、そして海の青と後ろに聳え立つ富士山という風景は、それぞれが絶妙に調和した絶景でした。

また、自分が訪れた時にはほぼ無かったんですが、富士山頂に雪の残る季節に訪れた方が、白のアクセントが入って、より色の調和が楽しめていいんでしょうね。

運不運もあるんですが、天候も快晴だっただけに、富士山の存在感が薄かったのだけがちょっと心残りでした。