Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

伊勢神宮内宮 (皇大神宮)

 伊勢神宮は、そもそもは天皇家の一族が代々祭祀を執り行っていた天皇家の宗廟であり、正確には、ただ「神宮」と呼ぶ。キリスト教における大文字のGodが、一般名詞ではなく唯一の神を指す固有名詞として扱われるというのに似ているだろうか。

 この単なる神宮と呼ばれる範囲には、内宮や外宮のほか、別宮や摂末社なども含まれ、全部で125社にも上るのだが、内宮は、その神宮の正宮のひとつであり、皇大神宮が正式な名称で、祭神は天照大御神、その御神体八咫鏡である。

 記紀によれば、宮中で祀られていた天照大御神が、奉遷する地を探して大和を始めとした各地を巡り、やがて垂仁天皇の皇女倭姫命がこの地を見つけ、遷座した。その遷座の年は、垂仁天皇の26年というから、皇紀に照らせば紀元前4年となり、もはや伝説の霞の中の時代で、創始の年と言えるほど明確にできるものではないのだろう。

 日本には、初物信仰や常若信仰が土俗的な信仰の背景として存在するが、伊勢神宮でそれを具現化したような、20年毎に社殿を新築する式年遷宮は有名である。これは、約1300年前の天武天皇の時に制度化されたという歴史を持ち、持統天皇4年(690)に初めて実施された。しかし、考古学的には、この遷宮が何を意味し、何を象徴しているのかというのは諸説あり、実際のところは不明という。

 古代から南北朝時代初期の辺りまでは、前述のように天皇家の血を引く内親王が伊勢に下り、斎王や斎宮と呼ばれて祭祀を行っていた。斎王の制度は建武期に廃れてしまうのだが、江戸時代に入ると、お伊勢参りが庶民の間で空前のブームとなり、共同で代表者にお伊勢参りを託す講が各地に登場するほどであったという。

 今現在は、江戸時代ほどのブームではないものの、相変わらず参拝する人が多い場所である。やはり、日本人の中に、最も神聖な場所という意識があるのだろう。

 内宮を訪れ、駐車場から宇治橋を渡って宮の中に入ると、やたらと広い境内が待っている。この大きさは普通の神社の比ではなく、さすがは神道の頂点に位置する宮であるといった感じだった。ちなみに、宮の内部は神聖な場所であり、写真撮影が禁止されている。

 

最終訪問日:2000/3/29

 

 

小学校の頃に一度来ているはずなんですが、その頃は興味が無かったためなのか、式年遷宮が間に入ったためなのか、全く記憶に残っておらず、訪れたはずみで思い出すことも無かったですね。

意外と人間の記憶は頼りないものです。