四国八十八箇所霊場の第八十五番札所で、正確には五剣山観自在院八栗寺という。本尊は聖観世音菩薩で、空海作と伝わる。
寺の伝承によれば、天長6年(829)に、弘法大師空海がこの地で求聞持寺法を修めた際、虚空権現が現れて霊地であることを告げ、5本の剣が天より降ってきたため、その剣を埋めて山を五剣山と名付け、寺院を開山したという。五剣山からは瀬戸内の8ヶ国が見えたことから、創建当初は八国寺だったとされる。
その後、入唐前に空海が願掛けとして8つの焼き栗を植え、帰国後に、その育つはずの無い焼き栗が悉く成長していたことから、八栗寺に名が改められたという。

ただ、これはあくまで伝承に過ぎず、空海の入唐は延暦23年(804)であることから、伝承が正しいとするならば、天長6年(829)は八栗寺と改称された年ということだろうか。このほか、延暦年間(782-806)頃の開山という説もある。
開山後、五剣山が峻険であるため、八栗寺は山岳修行の場となっていたが、戦国時代に麓の庵治や牟礼を領した中村恒頼が峰の一角に城を構えたため、天正11年(1583)の長宗我部元親の讃岐侵攻の際に焼失した。
その後、文禄3年(1594)に無遍上人が本堂を再興し、江戸時代になると高松藩主松平氏初代頼重が寛永19年(1642)に本堂を再建したのを始め、歴代藩主の保護を受けて伽藍堂塔が整備され、また、この頃から四国八十八箇所霊場の巡礼が盛んとなり、今に至っている。

全国的にも数が少なくなったケーブルカーで五剣山の中腹まで登ると、そこはもう境内地で、本堂を始め、大師堂、聖天堂、仁王門、鐘楼が建ち並ぶ。寺の奥之院は五剣山にあるのだが、こちらは道が危険なため、入山禁止となっていた。
境内には、お遍路さんはもちろんのこと、聖天堂も商売の神様として地元で信仰されているようで、平服姿の参拝客も多い。お遍路さんの読経の声が聞こえる中、仁王門を抜けると、そこはもう閑静な山の中腹で、自然の中に佇む寺院という雰囲気だった。この仁王門の先には展望台が造られ、屋島や高松市街東部が一望できるようになっており、眺めが素晴らしい。
ちなみに五剣山は、宝永3年(1703)の地震で東の峰が崩壊してしまい、現在は4つの峰の山となっている。
最終訪問日:2010/5/14
五剣山に登ってみたかったんですが、立ち入り禁止で、それは叶いませんでした。
レトロなケーブルカーも、なかなか珍しくて良かったですね。