Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

犬山城 (尾張)

木曽川犬山城天守

 木曽川の断崖上にある平山城で、国宝五城の内のひとつ。三國志で有名な中国長江沿いの白帝城に喩えられ、そのまま白帝城と呼ばれることもあるようだ。

 犬山付近では、文明元年(1469)に、斯波氏の家臣だった織田広近が、犬山城の南1kmほどのところに木ノ下城を築いており、詳しい年代は不明なものの、犬山城の場所にも乾山の砦が築かれたという。以後の木ノ下城には、代々織田氏一門が城主として在城していた。

 犬山城の歴史が始まるのは天文6年(1537)からで、美濃の斎藤氏への備えとして、織田信秀の弟信康が犬山城を築城して木ノ下城から居を移し、城主になったのが最初という。

犬山城案内板

 この信康は、信秀に従って出陣した天文13年(1544)か同16年(1547)の美濃稲葉山城攻めで落命してしまったため、子の信清が跡を継いで城主となったが、同17年(1548)には信秀に背いて守山の竜泉寺付近に攻め寄せ、撃退されており、父の代とは異なる動きを見せている。

 同21年(1552)に信秀が没すると、信清は、信秀の跡を継いだ従兄弟の信長と領地の押領などで諍いを起こしていたが、後には信長の姉を室に迎え、協力して上四郡の守護代である岩倉織田家を永禄2年(1559)に攻略した。だが、その領地の分配で信長と再び対立し、永禄7年(1564)に信長の攻撃によって居城犬山城は落ち、信清は甲斐へ落ち延びたという。

 その後、元亀元年(1570)に池田恒興天正9年(1581)には信長の五男信房が城主となり、翌年の本能寺の変の遺領分配を協議した清須会議後は、三法師の後見として清洲城に入った織田信雄の属城となった。

犬山城本丸大手門

 その信雄は、父信長亡き後、秀吉が着々と勢力を拡大しているのを見て対立し、家康と組んで天正12年(1584)に小牧長久手の戦いを引き起こすのだが、犬山城はこの時、かつての城主であった池田恒興に攻略されている。そして、秀吉の本陣が置かれ、南南東約11kmの小牧山に在った家康軍と対峙した。

 戦後、城は再び信雄に城が戻されたが、天正18年(1590)に信雄が秀吉の不興を買って配流されたため、近江八幡城豊臣秀次の属城となり、その実父である三好吉房が城代を務めている。その後、文禄4年(1595)に石川光吉(貞清)が入部し、現在の天守を築いたという。

 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦では、光吉は西軍に属し、犬山城岐阜城などと共に美濃国内の西軍拠点となったが、東軍中村勢の攻撃と説得で放棄し、西軍本隊へと投じて関ヶ原本戦にも参加した。このため、戦後に光吉は改易となり、家康の四男松平忠吉尾張を領したため、その附家老となった小笠原吉次が犬山城に入っている。

明確に残る犬山城樅ノ丸下の堀は当時は水堀だったか

 吉次は、城を近世城郭として完成させるとともに、城下を整備して今の犬山市街の原型を整えたが、忠吉が慶長12年(1607)に病没すると、尾張は家康の九男義直に与えられ、犬山城にはその附家老として平岩親吉が入った。平岩家が嗣子無く断絶した後は、同じく尾張藩附家老の成瀬家が3万5千石で城主となり、成瀬家が明治維新まで続いている。

 維新後、成瀬家は正式に犬山藩として独立したものの、明治4年(1871)には早くも廃藩置県で機能を失い、同6年(1873)には正式に廃城となった。この時、城は一旦、政府所有となったのだが、幸運にも天守などは取り壊されず、辛うじて城郭の姿形を残すことができたという。そして、明治24年(1891)の濃尾地震で破損した天守、付櫓、城門を修理する約束で再び成瀬家に譲られ、唯一の個人所有の城となったのだが、やはり個人での維持は難しく、平成16年(2004)4月からは、財団法人犬山城白帝文庫の管理となっている。

犬山城縄張図とその説明

 城の構造は、背後を木曽川の激流と40mの断崖に任せ、本丸から南へ階段を下るように杉ノ丸以下4郭が並ぶ典型的な梯格式の城となっており、中国の白帝城に喩えられるように、川の流れの先に孤高の姿を現しているような佇まいを持つ。天守は三層四階の古風なものであるが、3階部分の破風や4階部分の回廊部分はやや装飾的で、泰平の成瀬氏時代の増築という。

 城跡自体は、現在では本丸付近を残すだけとなっており、陸側から見ると比高もさほど高くはない平山城なのだが、天守から眺めてみると、昔と変わらず眼下に木曽川の激流を控え、周囲一帯を広く見渡せる高さを持っており、往時の威勢を偲ぶことができる。この陸側と川側の印象の落差が、城の魅力のひとつなのだろう。これ以上無い後堅固の城である。

犬山城の樅ノ丸と杉ノ丸の間を通る大手道の石垣

 

最終訪問日:2023/10/18

 

 

四半世紀ぶりに訪問しました。

川にせり出す崖と天守の景色は、相変わらず絶品ですね。

木曽川を城の東に架かる犬山橋で渡りながら見た天守が、一番印象的でした。

バイクを止めて写真を撮りたいほどに!