Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

高原郷土館

 かつての神岡町こと、飛騨市高原地区の資料を集めた郷土館。鉱山資料館と神岡城、旧松葉家住宅の3つの施設で構成されている。入場料は3館共通。

 旧神岡町は、奈良時代から採掘されていた神岡鉱山の影響が強く、中世に高原で興隆した江馬氏も、鉱山資源をその力の背景としていたという。

 江戸時代の初期は、高山藩金森氏が飛騨の領主となり、高原もその支配下にあったが、江戸時代中期に出羽国へと移り、その後は幕府の天領となった。その理由として、一説に木材や鉱物などの資源を独占するためであったといわれ、神岡鉱山も、当然その理由に含まれていたはずである。

 明治時代に入ると、明治7年(1874)に三井組が経営権を取得して鉱山の操業を始め、同20年(1887)頃には神岡鉱山の大部分を取得し、近代的手法の導入によって大増産に成功した。この鉱山の隆盛により、神岡町はまさに鉱山の町となったのである。

神岡鉱山関係の資料を展示する鉱山資料館

 高原郷土館の内、その名の通り神岡鉱山の採掘技術や鉱物を展示する昭和42年(1967)開館の鉱山資料館と、三井金属鉱業神岡鉱業所が創業100周年を記念して昭和45年(1970)に建てられた展望台兼歴史資料館の神岡城は、鉱山絡みであり、当時の町がいかに鉱山を中心として動いていたか、鉱山に勢いがあったか、というのが察せられるだろう。また、残りの旧松葉家住宅は、明治元年(1868)に建てられた古民家で、昭和43年(1968)に移築されており、この高原郷土館一帯が整備された昭和40年代頃の町自体の勢いも感じられる。

 鉱山資料館の展示内容は、昭和の資料館という雰囲気がそのまま残っており、今と比べればレトロで親切さが足りない感じは否めないが、神岡鉱山が閉山した今、資料館自体も、在りし日の雰囲気を残す遺産と成りつつあるのかもしれない。

展望台兼歴史資料館の神岡城

 神岡城は、崖上にあるため、非常に見晴らしが良く、旧神岡町をすべて見ることができる。川と鉱山と盆地という、旧神岡町のほとんどを構成する要素が手に取るようだった。

 旧松葉家住宅は、飛騨の古民家というものがありのまま残さており、地元の古民家に比べ、すべてを包含した一塊の家という印象がある。豪雪地帯であるが故、冬場は外に出ることを極力抑えた構造となっているのだろうか。

 この住宅内には民俗資料が展示されているが、その中で一番驚いたのは、仏壇と神棚が非常に立派だったことである。史料的価値のある古い品を集めているため、一般的な農家の標準の大きさではないのだろうが、地方の本家と呼ばれる家にはこういうものがあったのだろう。単純なもので、こういう立派なものが代々受け継がれることで、本家の得体の知れない凄味というものが出てくるのかもしれない。

民俗資料も展示する旧松葉家住宅

 

最終訪問日:2017/5/20

 

 

この高原郷土館の3つの施設は、それぞれが別の性格を持っているため、個人的には非常に興味を持って見学する事ができました。

正直、それほど期待はしていなかったんですが、良い意味で裏切られましたね。

興味の範囲が広い人にはお勧めしたい施設です。