Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

徳川家康最後陣地跡

旗が靡く陣場野公園

 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、家康が最終的に敷いた陣の跡。地名としては、床几場や陣場野という名が伝わっており、いずれも陣があった事からの名で、現在は整備されて陣場野公園となっている。

 家康は当初、ここから東へ2kmほどの、国道21号線沿いにある桃配山に陣を張っていたが、戦闘が始まり、西軍が予想以上に善戦するのを見て、戦況把握と東軍諸将への叱咤、士気向上を図るため、前線に近いこの地へ陣を進めた。

 そして、東軍の勝利によって戦闘が終結した後には、各武将の討ち取った首を検分し、その勲功を定める場ともなっている。その首実検を行ったと伝わるのが、陣場野公園内の床几場という。

 関ヶ原の合戦での両軍の陣形を見ると、西軍の鶴翼に開いた中に東軍が展開しており、西軍の全兵力がしっかりと活動すれば、圧倒的に西軍の有利な状況になったはずであった。だが、あえてその危険な場所へ本陣を進めたということは、正に陣頭指揮を執ろうとする家康の並々ならぬ意気と、西軍諸将への手配をし終えた自信を感じることができる。

 整備された陣場野公園には、徳川家康最後陣地という碑を始め、首実検したといわれる首実験場碑もあって、その部分だけが当時の様子そのままに残っているような感じを受けた。また、公園の周辺には、関ヶ原関ヶ原町に関する資料館がいくつか建てられており、関ヶ原の合戦の詳細を知ることができる。

 

最終訪問日:2002/11/13

 

 

関ヶ原の合戦の決戦地碑はやや北西にあるんですが、周囲にいくつか資料館などもあるので、この陣場野公園が史跡の中心的な場所になっていますね。

原というのが付くだけあって周りは平坦で、自転車でも借りてのんびりと回りたくなります。