Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

高山陣屋

 元禄5年(1692)に高山藩主金森頼時が出羽国上山へ転封となった後、天領となった飛騨国の治所となった陣屋。全国に60ヶ所以上あった江戸時代の郡代役所や代官所の中で、ほぼ完全な形として残っている唯一の陣屋である。

 陣屋の敷地には、金森氏時代には下屋敷が建っており、金森氏転封後に代官となった伊奈忠篤によって、陣屋として改めて整備されたという。その後は代官所として、飛騨代官が郡代に格上げされた後は郡代役所として使われ、176年間で25代の代官、郡代の支配を経て明治維新を迎え、陣屋としての役割を終えた。

高山陣屋前景

 だが、維新の際、慶応4年(1868)の東山道鎮撫使の竹山寛三郎による収公によって天朝御用所となり、新政府直轄の飛騨県、続いて高山県の役所として使われ、陣屋は維新後も活用され続けることとなる。

 明治4年(1871)に高山県が筑摩県に統合され、高山が筑摩県の一地域となった後は、陣屋は県の出張所となったが、その後も公的施設として使われ続けた。その間、昭和4年(1929)には国の史跡に指定されてはいたのだが、昭和44年(1969)に県事務所が移転したことにより、ようやく文化財として保存されることとなる。こうして、平成8年(1996)3月に、天保元年(1830)の絵図を元に陣屋として復元された。

高山陣屋説明板

 内部には、御役所と代官邸宅、各種の御蔵が建ち並んでおり、今の大使館や公館に近い雰囲気の施設である。ただ、高山陣屋は陣屋という名称ではあるが、役所であるが故に、他の大名未満の領主陣屋とは趣が異なり、石垣や堀などの城郭的な構造物は無い。門は立派であるが、あくまで平時の役所なのである。

 訪れた時は、気候の良い5月で、観光客もたくさん訪れており、高山の町並みの観光の中に陣屋も組み込まれているようだ。その中には、外国人観光客もかなりの割合でいたのだが、個人的には、日本の古い時代の建物がどういうものであったか、見学して何かを感じ取ってもらい、アニメの中のニンジャのような変なイメージではなく、実際のものを実感として感じてもらいたいところである。

 

最終訪問日:2017/5/19

 

 

何の気なしに訪れたんですが、陣屋前に恐ろしいほどの観光客がいて、驚きました。

特に外国人観光客の多さにびっくり。

なんでも、西洋系の観光客に飛騨は人気だそうで、人気を集める古い町並みの終端が陣屋前というのも、たくさんの人がいる要因のようですね。

何にしても、こんなに人が溢れる陣屋というのは見たことが無い・・・