Mottyの旅日記 Archive

Mottyが巡った場所の記憶と記録

松帆神社

松帆神社の真っすぐ伸びる参道

 百人一首に「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」という歌があるが、その岩屋付近の松帆の浦とは別に、松帆という名を持つ場所は淡路島のあちこちにあり、この松帆神社もそのうちのひとつである。

 伝承では、松帆神社は楠木正成所縁の神社で、楠木正成が延元元年(1336)5月の湊川の戦いで自刃した後、その家臣吉川弥六が密かに淡路に逃れ、今の楠本地区に正成から託された守護神八幡大神の神璽を祀る祠を建立したのが最初という。弥六ら一党は、周辺を開拓して集落を楠木村とし、やがてその祠の神徳が評判となって、応永6年(1399)に現在の地へ奉遷された。また、一説には同年、付近の城主であった向井将監によって男山より勧請され、氏神として祀られたものともいう。

 この伝承から判るように、地元では厄除八幡として信仰されており、かつては八幡宮や八幡さんと呼ばれていたようで、今の松帆神社へと改称したのは明治14年(1881)と、それほど古い話ではない。主祭神も、当然ながら八幡神である誉田別尊こと応神天皇で、仲哀天皇神功皇后が相殿として祀られている。また、拝殿や主殿の裏手や脇にも社がいくつかあり、応神天皇に所縁のある人物や大山咋神が祀られていた。

松帆神社の由緒

 海に近い国道から見ると、真っすぐ伸びる長い参道と社殿、鳥居の組み合わせがなかなか重厚な景観で、前を通る度に気になっていた神社である。機会を見て参拝してみたが、境内の幼い木が成長し、まだ新しい鳥居や石灯籠の石が古色を帯びれば、もっと荘厳さを漂わせるようになると思われ、時間を経た時にどうなっているか楽しみな神社でもあった。

 その参道や境内の雄大さから、大きな神社かと思わせる何かを感じたが、本質的には地域の鎮守であり、メジャーな神社ではないようだ。だが、山と海が互いに迫る淡路島にあって、海に向かいながらこれだけの奥行を持つ神社というのは、なかなか貴重ではないだろうか。神社には、鎌倉時代後鳥羽上皇御番鍛冶筆頭であった、備前福岡一文字則宗の銘が入った菊一文字という名刀があり、国の重要美術品として、盛大に行われる秋祭りに一般公開されているという。こちらも、一度は見てみたいものである。

 

最終訪問日:2006/5/24

 

 

バイクに乗り始めた頃から淡路島にはよく行っていましたが、国道28号線を走っていると、国道から真っすぐ伸びる参道が、通る度に必ず目に入ってくるんですよね。

何か凄い神様が祀られているのかと、感じるぐらい。

それぐらい、雰囲気がしっかりした神社です。